58年間袴田事件に翻弄され続けた静岡・沼津市の刃物店 無罪判決を受けその看板を下ろす…
袴田巌さんの再審無罪判決が確定したことを受け、58年間事件に翻弄され続けた刃物店がその看板を降ろしました。 ●高橋国明さん: Q判決確定後、沼津に来るのは初めてですか? 「そうですね。本当によかったですよ」 群馬県に住む高橋国明さん、74歳。この日訪れたのは故郷の沼津市にあった「菊光刃物店」です。この店は両親が営んでいましたが、13年前に閉店。それでも店の看板は出し続けていました。 きっかけは58年前の事件です。旧清水市で一家4人が殺害された事件で、袴田巌さんが逮捕されました。 袴田さんの一審では凶器とされたくり小刀が、菊光刃物店で販売されたと認定され、死刑判決が言い渡されました。しかし再審で静岡地裁は複数の証拠が捜査機関にねつ造されたと指摘し、袴田さんに無罪判決を言い渡し確定しました。 ●高橋国明さん: 「どうぞ。すっかり荒れちゃってね」 袴田さんの無罪が確定したことを受け、高橋さんは久しぶりにこの店に訪れたのです。 ●高橋国明さん: 「ここにありました。凶器とされているくり小刀ですね。『危ない物売っちゃだめだよ』なんて御用聞きをやりながらそういう声をたくさん聞いて、『凶器屋が来たぞ』とか『気をつけろ』とか、いろんなことをコテンパンにやられちゃいました」
一審では高橋さんの母・みどりさんが証言に立ち、検察に「知っている顔はありますか」と写真を見せられると袴田さんを指しました。しかし本当は顔に見覚えはなく、捜査機関への信頼や凶器の販売店となったという被害者意識から、被告である袴田さんの写真を指さしてしまったといいます。 ●高橋国明さん: 「母親の方は区切りがつくと思います。それは本当によかったですね。一番気にしていましたからね。母親が」 母みどりさんは、当時の証言を悔やみながら2023年2月、97歳で亡くなりました。 ●高橋国明さん: 「袴田事件が解決しない限りですね、街の道具屋としての店は終わらないという思いで、看板だけは出し続けて きましたので」 母の自責の念や袴田さんへの謝罪の気持ち。事件の終わりまでは看板を出し続けると決めていました。そして袴田さんの無罪確定を受けて、ようやく看板を下ろす日を迎えました。 ●高橋国明さん: 「寂しさ、ほっとしたさ、いろんなことが交錯してまいりますね。看板下りてしまいましたね。もう店これで終わりです。道具屋としての店はこれで終止符を打つことになります」 母みどりさんのお墓にも報告に訪れました。 ●高橋国明さん: 「再審無罪が確定したことをそれをもって、店の営業に最後のピリオドを打ったということで看板を取り外しました。これを墓前に報告しました。自らの証言が冤罪につながったんじゃないかと気に病む思いでしたけども両親も重荷を下ろすことができたんじゃないかと思っております」 58年間翻弄され続けた刃物店が事件に区切りをつけました。