海外からも人気のSNS絵師・鈴木セイゴが浮世絵風イラストにたどり着くまで
Xにアップしている浮世絵風のイラストで、国内外問わず注目を集めているのがイラストレーターの鈴木セイゴさん。 【イラストギャラリー】鈴木セイゴこだわりのイラスト こだわりを英語にするとSticking(スティッキング)。創作におけるスティッキングな部分を、新進気鋭のイラストレーターに聞いていく「イラストレーターのMy Sticking」。今回は、鈴木セイゴさんに浮世絵風のイラストを描くようになった経緯や、絵を描くにあたってのこだわりを聞きました。 ◇無限に与えられてるチラシの裏に絵を描く日々 鈴木セイゴさんが絵を描くようになったのは幼少期の頃、祖母の家で過ごすことが多かったのがきっかけだった。 「おばあちゃんは、しつけとか礼儀・作法に厳しい人でした。貧乏だったわけじゃないんですけど、おもちゃとかも買ってもらえなくて。教育として、欲しいものを買い与えないっていう方針だったんです。 その代わりに、裏が白いチラシ紙がタンスの一番下の引き出しにたくさんあって。“これは自由に使っていいよ”って言われてたので、何もすることなくて時間を持て余してたので、無限に与えられてるチラシの裏に、ひたすら絵を描いていましたね。 おもちゃ屋に欲しいおもちゃがあっても買ってもらえない。なので、おもちゃ屋でおもちゃを眺めて、家に帰ってそのおもちゃを思い出して描いて満足する、みたいなことをしてました」 その頃は、人物・動物・風景など、なんでも描いていたそうだ。成長するについて、セイゴさんの絵に対する思いはどんどん強くなっていく。 「子どもの頃は目的もなく、ただ“描くことが楽しい”から描いてたんだと思います。それが、思春期になって自分の世界に閉じこもっていくようになりました。高校時代は、学校から帰ってくると、ヘッドホンでラジオや音楽を聴きながら、ひたすら絵を描いていました。自分の世界にこもってテーブルの上の紙に思いをぶつけて、現実の世界の苦しさやストレスを発散していたんです」 高校は建築科に通っていたセイゴさん。そこで「パース」というものを学んだ。それがセイゴさんの絵の世界に広がりを与えた。 「授業でパースを習って建物を描いてたんですが、自分にとって唯一、その時間が楽しくて。パースを習ったことによって、自分の世界に立体が生まれていったんです。今までは平面の世界だったんですけど、次元が広がったんですね。パースは、今でも自分にとって一番重要です。絵が下手でもパースがカッコイイと、カッコイイ絵になると思ってます」 ◇自信になった漫画『ショートショッツ』 当然のように、絵を仕事にしたいと思ったセイゴさん。しかし、どうやって絵を仕事にすればいいのかわからなかった。まず始めたのが、漫画家を目指して漫画を描くことだった。 「原稿用紙を買って、Gペンを買って、漫画を描いたんですけど、うまくいかなくて……。漫画を諦めてから、絵画を仕事にできないかなと思って、別の仕事をしながら絵を描くということを続けていました。絵画も自分なりに突き詰めていきました」 セイゴさんの絵画に興味を持つ人は徐々に増え、原画も売れるようになった。その販路をもっと広めようと思って描いたのが、漫画『ショートショッツ』だった。 「じつは、今でも読める『ショートショッツ』よりも前に、『旧ショートショッツ』を描いたんです。それは、今の『ショートショッツ』よりも、エログロナンセンスが激しい作品。自分の心の中のドロドロを吐き出していくような感覚で描いたんですけど、そこに共感してくれる方たちがいたんです。 今まで溜め込んでいた、どこにも出せなかった自分の感情や思いを見て、喜んで笑って楽しんで共感してくれる人がいるんだって。そのときに知って、すごく自信になりました。これ以上、隠したいところはないっていうところまで出して、それに共感してくれたんで、怖いものがなくなりました。“もしかしたら、このままでいけるかもしれない”って」 自分をさらけ出すような作品を世に出すことに、ためらいはなかったのだろうか。 「自分にとっては、躊躇も何もなかったです。誰かと顔を合わせて、対面で自分を出すということはハードルが高いですけど。誰が見るかわからない、自分を知らない人が見るWEB上に作品を出すことについては、ためらわなかったですね」 『ショートショッツ』の評判もあってか、セイゴさんの絵画の売れ行きはどんどん上がっていき、さらに自信をつけていった。それと同時に「買いたかったけど、完売で買えなかった」という声が届くようになった。それがツラかったという。 「一点物なので、世界中の誰か一人の手元にしか届けられないわけです。これだと、あんまり儲からないし、誰か一人しか喜ばせられないと思って。それだったら、絵画じゃなくてデジタルイラストのほうが、不特定多数の大勢に届けられるんじゃないかなって。それから、イラストを描いてSNSに載せる、ということを始めました」