「3つの改革」で売上5倍に 茅ヶ崎の町工場の“リアル下町ロケット”の奇跡 モノづくり大国ニッポンが復活
しかし、このころに転機を迎えます。実家の両親が経営する由紀精密が、経営難に陥っていたのです。 もともと祖父がネジ製造で創業した由紀精密は、そのころ公衆電話や光ファイバー関連の部品を柱にしていましたが、携帯電話の普及で受注が激減。父親の体調もすぐれず、倒産の危機を迎えていました。 「こんなに技術を積み上げてきた会社が、社会の変化に取り残されて失われてしまうのはよくない。この会社を存続させることが、私の使命なのではないか」 そう考えた大坪さんは、急成長を続けるベンチャー企業を辞めて、祖父が設立した町工場の立て直しを決意しました。 いざ会社に入ると、財務状況はすでに火の車でした。多額の借入金は年間売り上げの数倍に達していて、入金があってもほとんどが借入金の返済に回ってしまうほどの状態でした。 それでも、大坪さんはあきらめませんでした。ここから、会社のその後の飛躍につながる「3つの改革」に着手するのです。
「驚かせる営業」の神髄
最初に取り組んだのは、「自社の強みは何か」を問いかけること。ところが、両親や社員に聞いても、具体的なものがなかなか見えてきません。そこで、取引をしている関係企業にアンケートを実施することにしました。 「見積もりのスピード」「難しい製品を製作する能力」「製品の精度」――顧客企業の目線から自社を5段階で評価してもらった結果を見て、大坪さんは確信しました。 「最も評価が高かったのが『安定した製品の品質』だったんです。だったら、由紀精密は品質の高さを生かし、新たな顧客を増やす営業をするしかないと思いました」 こうして狙いを定めたのが、航空宇宙や医療機器の最先端分野です。「少品種大量生産」から「多品種少量生産」への大きな転換でした。 自社の“強み”を強化するために社内に「開発部」も新設しました。それまで取引先から受注した部品を図面通りに作るだけだった仕事のやり方を、部品自体の企画設計や提案から、その部品を作るための治具や装置の製作まで一気通貫に対応できる体制に進化させたのです。これは、機械設計の技術があった大坪さんならではの発想でした。