「あいつは死刑囚の手記をよく読んでいた」…附属池田小事件・宅間守の常軌を逸した“性衝動”と“自殺願望”。「オヤジは相変わらずや。やっぱり殺しておけばよかったんや」
昭和・平成 闇の事件簿3~附属池田小事件#2
日本犯罪史上まれに見る無差別大量殺人として社会に衝撃を与えた「附属池田小事件」から今年で22年が経った。事件当時、宅間守・元死刑囚の実家で寝泊まりし、実父Aさんとその後十数年間にわたって交流を重ねた記者・小林俊之氏が明かす驚愕の事実とは。本稿では、10代の守が抱いていた常軌を逸した“性衝動”と“自殺願望”が明かされる。 【画像】航空自衛隊時代の宅間守・元死刑囚、自筆した中学校時代の学習ノートなど画像多数
「人生はSEXだ」と書き殴られたノート
〈人生はSEXだ〉 中学生の宅間守は、理科の学習ノートの表紙に、鉛筆でこう書き殴った。そこに「暴力」という文字を書き加えれば、この男のすべてを物語る。 7歳上の兄とともに何不自由なく育った守だったが、小学1年生の通知表特記事項欄には、担任からの指摘がこう記されていた。 〈顔もおだやかさが出てきました。でも、まだ裏にまわっては友達をいじめて泣かせています〉 いじめの加害が続いた小学3年生のころの通知表特記事項欄には、担任からのきつい言葉が書かれている。 〈いやがらせ、弱い者いじめがあった。される人のことを考えて行動しよう〉 小学生時代の守は、名門の大阪教育大附属池田中学校を目指していた。事件を起こした池田小学校と同じ敷地内にあるこの中学校に願書を取りに行っているのだ。17歳の守は、保健の学習ノートに反省文を記している。 〈合格する自身(原文ママ)がなかったけれど、いちかばちか合格したらもうけもんやと思っていた。 そして願書の中身を見て内申欄があった。5段階に表す内申欄であった。もちろん先生に書いてもらえば、内申書だけで落ちるのは目に見えている。だから自分で書いて偽造しようと思った。しかし考えてみると校長の印も押さないといけないし、あきらめて願書を持って家に帰った。 そしてお母さんに願書をもらって来たことと、受験が保護者同伴なのでそのことを伝えると「そんなもん通るはずがないのに受けるだけ無駄や」と言われた。そして僕はあきらめた〉
宅間家、最初にして最後の慶事
守は中学生時代の学習ノートに〈灘高校生・灘・灘・灘・灘〉〈防衛省経理局経理課 宅間守〉と走り書きし、強烈な上昇志向を露わにしている。その夢を最初に打ち砕いたのが池田中への進学断念だった。このやり場のない挫折感を、暴力で発散したのだろうか。 その後、守は本意ではなかったが、兵庫県内の工業高校に進学した。小学生から高校2年生まで綴っていた「反省文」の記述。 〈合格した時は、とてもうれしかった。そして、野球部に入る事を決めた。(略)そして入学した1週間ほどたってから、野球部に入った。なんど入部して気づいた事は、練習のきつい事、僕はもうついていけなくなってやめた〉(原文ママ) 守の堪え性のない性格をよく表しているエピソードである。そして、高2で教師に暴行して退学となる。しかし、それが転機となり、守幼いころから憧れていた航空自衛隊に入隊した。宅間家、最初にして最後の慶事だった。 「法事のときも守は制服で帰ってきてな。鼻の穴を膨らませてたわ」 守の実父であるAさんは、このときは顔をほころばせて語った。 だが親の心、子知らず。家出少女を隊の寮に連れ込んだことが発覚し、入隊からわずか1年半で除隊となった。 その後、不動産屋に就職した守はあろうことか、自社管理のマンションに住む女性の部屋に侵入、強姦し、懲役3年の実刑判決を受けている。1990年には、金も払わずホテトル嬢とセックスし、ヤクザに追い込みをかけられた。伊丹空港滑走路に逃げ込んだ守は、航空法違反で検挙されるという。情けない珍事を起こしている。性犯罪は枚挙にいとまがない。 〈I am playing SEX 〉〈I was playing SEX in the room yesterday〉 学習ノートには、性への強い衝動が綴られていた。守は逮捕後、精神科医にこう語っている。 〈中2のとき、女の子の弁当のなかに唾を掛けた。可愛い女の子の弁当のミニハンバーグに精液をかけて、食べるのを見とった。自分の唾とか精液を食わしとる、という自己満足があった〉