「体験格差」は世代を超えて連鎖する…“体験ゼロ”の親が子どもに与える影響とは?
「あきらめさせた」と感じる背景
親による子どもの「体験」の捉え方やそれへの意向を理解するうえでは、調査の別の項目も参考になった。それは、「子どもがやってみたいと思う体験をあきらめさせたことがあるか」を聞いた設問だ。 この質問に対する親からの回答を、親自身の小学生時代の「体験」の有無と掛け合わせたところ、子ども時代に「体験」をしていた親のほうが、子ども時代に「体験ゼロ」だった親よりも、自分の子どもがやってみたいと思う「体験」をあきらめさせたことのある割合がかなり高くなった(逆ではない)。 前者が62.4%であるのに対し、後者では25.2%にとどまる。 ちなみに、同じ「あきらめさせた経験」への回答を世帯年収と掛け合わせたところ、あきらめさせたことのある割合は、「300万円未満」で49.1%、「300万~599万円」で54.9%、「600万円以上」で58.9%となり、経済的な壁のより高い低所得家庭で「あきらめさせた経験」がより多く見られたわけではなかった。 ここから示唆されるのは、親自身が子ども時代に何らかの「体験」をしてきたこと自体が、自分が親になったあとに我が子に対して価値のある「体験」をさせてあげたいという気持ちや欲求を持つことの土台となっているのではないか、そして子どもに対してその「体験」を「させてあげたい」という気持ちをより強く持つからこそ、経済的な事情など様々な理由で「させてあげられなかった」と感じる状況もより生まれやすくなっているのではないか、ということだ。 つまり、親自身がピアノにせよサッカーにせよ、水泳にせよ登山にせよ、それらの「体験」に一定の価値を感じていなければ、子どもにそれを「あきらめさせた」という思いになりづらく、同時に親自身がその「体験」に価値を感じる背景として、自分自身の子ども時代の「体験」があるのではないか。 実際に、子どもにキャンプなどをさせたことがないという親から話を聞くと、自分自身も子ども時代にそうした自然体験をした思い出がないという。そして、もし今お金や時間に余裕ができたとしても、そのお金と時間はきっとキャンプとは別のことに使うと思うと語っていた。視野をさらに広げれば、かつて親自身が子ども時代にどんな「体験」をしていたかに対しても、その親(=祖父母)の子ども時代の「体験」のあり方が関係していたと考えるほうが自然だろう。 どうやら体験格差という問題は、同世代の子どもたちの間にある格差として捉えるのみでは十分ではなさそうだ。世代を超えて格差が連鎖すること、世代を超えて格差が固定化している可能性まで含めて、この問題を見ていく必要がある。 ある子どもが何らかの「体験」に興味を持たない、やりたいとも感じない状態には、個人的な趣味や好み以上の背景がある。 そうであればこそ、社会全体で子どもの体験格差の解消を考えるのなら、「やってみたいのにできない」子どもたちだけでなく、「何に興味があるのかがまだ見つかっていない」子どもたちにまで目を向けるべきだ。 そして、何か一つの「体験」を無理やり押し付けるのではなく、色々な「体験」に触れられる機会を用意し、その中から好きだと思える「体験」を見つけるサポートをしていくべきだろう。
〈著者プロフィール〉今井 悠介
公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン代表理事。1986年生まれ。兵庫県出身。小学生のときに阪神・淡路大震災を経験。学生時代、NPO法人ブレーンヒューマニティーで不登校の子どもの支援や体験活動に携わる。公文教育研究会を経て、東日本大震災を契機に2011年チャンス・フォー・チルドレン設立。6000人以上の生活困窮家庭の子どもの学びを支援。2021年より体験格差解消を目指し「子どもの体験奨学金事業」を立ち上げ、全国展開。本書が初の単著となる。
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