「自転車にヒョイとまたがって…“バーイ”」男子バレー新監督ロラン・ティリってどんな人? 親日家の60歳、選手も信頼「ティリさんは引き出しが多い」
練習はハードだが、コート外は自由を与える
ティリ監督が選手に求め続けたのは、「毎日の練習で100%を出し切る」「限界を作らない」「言い訳をしない」の3つ。練習はハードだったが、コート外では自由を与えた。 監督就任3年後の2015年にワールドリーグやヨーロッパ選手権で優勝し、2016年リオデジャネイロ五輪で3大会ぶりの五輪出場を果たす。2大会連続出場となった東京五輪では、予選ラウンドで苦戦しながらも、決勝トーナメントを勝ち抜き、悲願の五輪金メダルを獲得した。 東京五輪を最後にフランス代表監督は退任したが、パナソニックからのオファーがなければ、そのままフランス代表を率いる可能性が高かった。東京の次はパリ五輪。続けていれば自国開催の五輪で母国を率いることができたが、ティリ氏はそれよりも、日本での新たな挑戦を選んだ。 「(リオ、東京で)2度オリンピックの出場権を獲った後で、パリに行くことよりも、ここ(日本)に来ることのほうが、私にとって特別で、重要なチャレンジだと思ったので、こちらを選びました」と語っていた。 熾烈な予選を勝ち抜いてリオと東京五輪の出場権をつかみ取ったチームに誇りを持っており、自国開催のため出場が約束されているパリ五輪には、それ以上の魅力を見出せなかったようだった。 何より、日本や新しい環境への挑戦に心をくすぐられた。 「私はチャレンジが大好きなんです。未知の文化や生活など、新しいものに触れることに惹かれる。それにバレーボールにおいて日本はとても重要な影響を及ぼしてきた歴史がある。だからここに来ることは私にとって非常にエキサイティングなチャレンジでした」 若い頃に新渡戸稲造の「武士道」を読み、日本バレーに対するリスペクトも深い親日家。それも踏まえてオファーしたと、大阪ブルテオンの南部正司ゼネラルマネージャーは語っていた。
「“監督”ではなく“家族”のようでいたい」
大阪での生活を気に入り、今ではすっかり馴染んでいる。パナソニックアリーナでのホームゲームを終えると、ヒョイと自転車にまたがり「バーイ」と軽快に帰っていく。来日してまもない頃、休日は自転車で近所を散策するのが楽しみだと話していたが、5年目になった今では1時間ほどかけて京都まで足を延ばすこともあるという。 選手には常にポジティブな言葉をかけ、親身になって寄り添う。 「私は選手にとって“監督”や“先生”であることは望みません。“家族”のようでいたい」がモットーだ。 五輪優勝監督という肩書きを持ちながら、気さくでユーモアがあり、誰に対しても和やかに接する人格者。選手に慕われ、今でも国際大会の視察に訪れると自然にフランス代表の選手たちがティリ氏のもとに集まり輪ができる。まるで本物の家族のように。 ただ選手に求めるものは徹底している。プレー面ではすべての要素を精度高く、全力で果たすことを求める。ティリ監督が大阪ブルテオンの選手たちに常々話すのは“勝つための7つの要素”だ。 試合に勝つために必要なものを全部で100とすると、サーブ、サーブレシーブ、トス、スパイク、ブロック、ブロックフォロー、ディグの7項目がそれぞれ14%ずつを占め、それをトータルすると98%になる。残りの2%は“運”。例えば相手のミスや審判の判定などを挙げるが、前述の7項目に全力を尽くしてハードワークし、日頃の行いを正すことで、2%の運を引き寄せることができる、と説く。 その7項目は、どれかが飛び抜けて良くても、他のどれかが低ければダメ。全項目をバランスよく完成させなければならない。 その必須の7項目の一つに“ブロックフォロー”が入っているところに、細かいプレーの精度を大事にするティリ監督らしさが表れている。まさにフランス代表はそれを体現しているチームであり、日本代表も、そうした精度の高さを求めてきた。そして今後さらに求めていかなければならない。
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