今季NPB1軍復帰はならずも、くふうハヤテの若手の成長に貢献した元DeNA田中健二朗
今シーズン、日本野球機構(NPB)にファーム(2軍)リーグ限定で新規参戦した「くふうハヤテベンチャーズ静岡」(以下、くふうハヤテ)。同時に参戦した「オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」は独立リーグの老舗球団だったが、くふうハヤテは母体も何もない、まさしくゼロから立ち上げられたチームだ。 【写真】「永久欠番」の名監督になっていた元阪急の2番打者 開幕から約3ヵ月が過ぎた6月末、くふうハヤテに密着取材し、野球人生をかけて新球団に入団した男たちの挑戦を追った。 今回は、NPB1軍への復帰を目指して、ファームでパーフェクトピッチングを続けていた田中健二朗(元DeNA)の戦いに迫る。(全15回連載の7回目) ■防御率0.00 NPB12球団復帰について聞くと、田中健二朗は開口一番こう答えた。 「ただただ野球がしたい。しがみついてでも続けたい」 インタビュー用に用意された部屋に現れた田中は、リングに上がるボクサーのような鋭い眼光。近寄りがたさを感じると同時に、NPB12球団復帰をかけて、今どれだけ強い覚悟を持ち挑んでいるかが伝わってきた。 取材時の6月末時点では、ウエスタンリーグ15試合に登板して防御率0.00。調整もありこの所、登板からは遠ざかっているが、開幕以来、未だ1点も与えない完璧な投球を続けていた。 「決して好調でもないですし、やりたいことが全て完璧にこなせているかと言えばそうではない。たまたま運良く乗り切れた場面もありました。防御率が0.00だからといって、特に自分の中では意識していません。 もちろん失点したくないと思ってマウンドに上がります。ただ、そこに執着するよりも、毎回良いパフォーマンスを出せるように準備をして、課題を探ることを第一に考えます。『コンディションの悪い状態でも抑えられる』ということが大切なので」 横浜一筋で歩んだ田中のプロ野球人生は波瀾万丈。幾度となく訪れた苦難を乗り越え、這い上がってきた16年間だった。 愛知から越境で常葉菊川高校(静岡県菊川市)に進学し選抜優勝、夏はベスト4にチームを導き、2007年、高校ドラフト1巡目指名で横浜に入団。しかし、左肩を痛めた1年目は2軍でも登板機会はなく、1軍公式戦デビューは3年目の2010年。先発して初勝利を飾るも、翌2011年は1軍出場1試合に終わった。 実力は評価されながらも結果はなかなか出ない。開花したのは入団8年目、2015年シーズンだった。中継ぎでシーズン前半だけで35試合に出場しオールスターゲームにも選出された。しかし後半は調子を落として2軍降格。そのままシーズンを終了した。 翌2016年は初めてシーズンを通じて1軍に定着し、キャリアハイの61試合に登板(23ホールド)。球団初のクライマックスシリーズでも活躍し、2017年シーズンも60試合に登板するなど2年連続で好成績を収めた。しかし、2018年シーズンは怪我の影響で出場11、防御率も6.57と成績は急降下。翌シーズン途中に左肘のトミー・ジョン手術を受け、リハビリに専念するため育成契約になった。 当時すでに30歳過ぎ。戦力外通告も覚悟したが、「まだまだ終われない」と野球に対する情熱は失せることなくリハビリに励んだ。2021年シーズン、9月12日の阪神戦で1092日ぶりに1軍のマウンドに上がる。翌2022年シーズンは47試合に登板し、完全復活をアピールした。 「第二の全盛期」を迎えるのか。期待も高まった2023年シーズン開幕前、左太腿の肉離れで出遅れ1軍登板はわずか11試合で終戦。そして10月3日、ほか10選手とともに、田中は戦力外通告を受けたのだった。