なぜキリスト教は、神を「父と子と聖霊の”三位一体”」としたのか…? そこには「意外すぎる理由」があった
どうして「父と子と精霊」?
グローバル化が進むなかで、自分とは異なったさまざまな背景をもつ人と関係を築くようになったという人は多いかもしれません。たとえば、日本で、あまり宗教を意識せずに育った人にとっても、キリスト教の知識をもっておくことは、以前に比べて重要性を増していそうです。 【写真】天皇家に仕えた「女官」、そのきらびやかな姿 キリスト教について知るために非常に役に立つのが、『キリスト教入門』(講談社学術文庫)という一冊。著者は、比較文化史家でキリスト教に関する著書が多数ある竹下節子さんです。 本書は旧約聖書と新約聖書の内容をわかりやすく紹介しつつ、キリスト教を知るうえでポイントとなる「キーワード」を整理して提示してくれます。 たとえば、キリスト教徒と言えば、「三位一体」という考え方を取り入れていることで知られますが、なぜ三位一体が教えに組み込まれていったかの背景について、同書はわかりやすく解説しています。同書より引用します(読みやすさのため、改行などを編集しています)。 〈三位一体の神とは「父と子と聖霊」だ。父は「目」であったり白髪のおじいさんだったりし、子は小羊やイエス・キリストで表され、聖霊は白鳩で描かれることが多い。 モーセの神は、最初はその名も分からず、子音表記しかしない古代ヘブライ語でただ三人称の「存在する」という動詞の現在形の語根によって示された「在りて在る者」という抽象的なものだった。〉 〈それが、イスラエルの民がカナンに定住した後でなぜか「父」のイメージを持つようになった。カナン人は父なる神とその妻である神々の母アシェラ、息子のバール、「乙女」と呼ばれた娘のアナトの四つの神性を拝していたから、ユダヤ人がカナン人を征服して、彼らの一神教を押しつけた時に、ヤハウェが「父」の地位を継承したのだろう。 この「父子」の家族的なイメージは、本来の一神教を曖昧にしてしまった。後にこれが「父と子と聖霊」という「三位一体」の教義のベースになった。 しかし、キリスト教が三位一体の教義(三八一年の第一コンスタンティノポリス公会議で教義化された)を真に必要としたのは、教会という制度を神格化したかったからだろう。 原始教会の集まりではヒエラルキーも聖職者の地位も曖昧だったが、五五三年の第二コンスタンティノポリス公会議において、「父」と「子」に「聖霊」(具体的には聖霊によって導入された教会)を加えた三位一体によって教会の権威は超越的なものになった。 同時に聖職者とは聖霊降臨で福音を伝える能力や赦しや癒しの能力を付与された者となる。こうして教会を批判したり攻撃したりすることは、聖霊を批判したり攻撃したりするに等しいことになった。〉 じつは「三位一体」の考え方には、そもそもほかの信仰との影響関係があったり、教会の権威を高める効果を狙った部分があったりした……。宗教というものがどのようにかたちを変えていくのかの一端を垣間見ることができます。 * さらに【つづき】「「キリスト教の神」が、「三角形の中の目」で示されることがあるのはなぜか…? じつは「深い理由」があった」の記事でも、キリスト教の意外な側面についてくわしく解説していきます。
学術文庫&選書メチエ編集部