9度目の受験、34歳で公認会計士試験に合格した元阪神投手の述懐 「試験勉強とピッチャーには共通点がある」
ノンフィクションライター・長谷川晶一氏が、異業種の世界に飛び込み、新たな人生をスタートさせた元プロ野球選手の現在の姿を描く連載「異業種で生きる元プロ野球選手たち」。第10回は、元阪神タイガースの投手・奥村武博さん(44)です。前編ではドラフト6位で入団したものの、あまりにも高かったプロの壁――4年目のオフに戦力外通広告を受けるまでを紹介しました。後編では第2の人生に、国家資格である公認会計士試験を目指す決意を固めるところから伺います(前後編の後編)。 【写真を見る】公認会計士として働く第二の人生
ふとした偶然で手に取った『資格ガイド』が人生の転機に
現役引退後、何も生きがいを見出せぬまま、心身ともにすり減っていき、気がつけば円形脱毛症となった。そんなある日、奥村武博が帰宅すると、自宅テーブルの上にあったのが『資格ガイド』だった。憔悴していた奥村を見かねて、当時の恋人が買ってくれたものだ。 「ある日、帰宅してみると、毎年出版されている年度版の『資格ガイド』が置いてありました。彼女としては、“これを読んで、何か資格を取ってほしい”ということではなく、“世の中には、これだけたくさんの仕事があるんだよ”ということを言いたかったんだと思います。確かに当時の僕は、世の中のことを何も知らなかった。とにかく僕に視野を広げて欲しいという思いを伝えるためのアイテムとして、『資格ガイド』に行きついたようでした」 そして、それは彼女の思惑通りの効果をもたらした。奥村が述懐する。 「巻頭は、“稼げる資格”がたくさん並んでいて、そこには医者や弁護士、税理士、会計士などが並んでいました。もちろん、難易度は高いし、合格率は低いものばかり並んでいるんですけど、その中で《公認会計士》の項目に目が留まりました」 岐阜県立土岐商業高校時代は、学校の方針で日商簿記2級を取得しなければ野球部の練習に参加することはできなかった。そのときの経験がよみがえってきた。 「すでに6~7年のブランクはあったんですけど、一応、簿記の資格は持っていました。さらに幸運だったのは、それまでは受験資格が厳格に定められていたけど、2年後から試験制度が変更されて、ハードルが下がることが決まっていました。他の難関資格とは違って、大学や大学院での課程修了や単位取得といった条件がないんです。一般的に、公認会計士資格取得のための予備校に通うと、2年後に最初の試験を受けるスケジュールなので、“これはオレのための制度変更だ”という思いで、受験することを決めました」 『資格ガイド』、「日商簿記2級」、そして「受験制度変更」……。きっかけはひょんなことから始まった。そしてここから、公認会計士を目指して、実に9年にわたる奮闘の日々が始まることになる。2004(平成16)年、秋の日のことである――。