なぜ14歳の山田美幸が女子100m背泳ぎ(S2)でパラ五輪第1号&史上最年少の“メモリアル”銀メダルを獲得することができたのか…「河童になりましたと(天国の)父に伝えたい」
新潟県阿賀野市で生まれ育った山田は、保育園に通っていたころにプールと出会った。患っていた小児ぜんそくを克服できれば、との家族の思いもあって興じているうちに、健常な子どもたちと大きな違いを感じない水中が何よりも好きになった。 パラリンピアンへの思いが高じたのは、5年前にテレビ越しに観戦したリオデジャネイロ・パラリンピックだった。全力を尽くして泳ぎ終えた選手たちが、歓声を受けながら浮かべた笑顔に魅せられ、同じ舞台で戦ってみたいと子ども心に決意した。 当初は自由形の選手だったが、昨年2月にそれまでのS3よりもさらに運動機能障害が重いS2へ振り分けられたのを機に種目を背泳ぎへ変更した。キック力の強さを生かす独自の泳法を追求してきたなかで急成長を遂げ、いま現在では4種目で日本記録保持者となり、自国開催のパラリンピックを堂々のメダル候補として迎えた。 プールに向かって深々と頭を下げ、感謝の思いを捧げたレース後には2度のサプライズが待っていた。夏冬を通じて日本のパラリンピック史上で最年少メダリストになったと、取材エリアでメディアから知らされた山田は思わず目を丸くした。 「自分が史上最年少のメダリストだと知らなくて、とてもびっくりしています」 表彰式では銀メダルを首にかけられるときに、プレゼンターを務めた国際パラリンピック委員会の山脇康理事(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会副会長)から「日本で最初のメダルだよ。本当におめでとう」と声をかけられた。 今大会の第1号メダリストだと知った瞬間に、呪縛から解き放たれた安堵感も無意識のうちに込みあげてきたのだろう。銀メダル獲得が決まった直後のプール内から満面の笑みが絶えなかった山田の表情に、ちょっぴりと涙が浮かんでいた。 「いままでかけていただいたメダルの比にならないぐらい重たいです」 表彰式を終えた山田は銀メダルの価値をかみしめながら、インタビュアーから「いまの気持ちを誰に伝えたいですか」と問われると、母親とコーチの名前をあげた。 実はもう一人、感謝の思いを届けたい人がいた。2年前に病気で天国へ旅立った、父親の一偉さんへのメッセージを問われた山田は思わず声を震わせている。