〈ベンチ裏で悔し涙を流したことも〉…大田泰示、T―岡田、青木宣親「惜別!プロ野球選手」苦悩の肉声
〈必要以上に落ち込んだり、ふてくされた態度をとったこともあります。当時の岡崎郁二軍監督から『あんまり腐るなよ』と声をかけられ、他の選手に見られないようにベンチ裏で悔し涙を流したことも一度だけではありません。どん底でした〉 【思わず二度見!】焼き肉をモリモリ…大田、T―岡田、青木「引退・野球選手」意外な素顔写真 『FRIDAY』(’18年6月8日号)でこう告白したのは、今季限りで引退する大田泰示(34)だ。 今季も多くの大物プロ野球選手がユニフォームを脱ぐ。大田、T―岡田(36)、青木宣親(42)……。本誌は現役時代に彼らをインタビュー。もがきあがいた苦悩の時代を本人たちの肉声で振り返る――。 大田は身長188cmの大型スラッガーとして、東海大相模高(神奈川県)からドラフト1位で’08年に巨人へ入団した。同高出身の原辰徳監督(当時)の期待は大きく、ヤンキースに移籍した松井秀喜氏のつけていた背番号「55」を継承。だが、連日メディアから注目される重圧や松井氏のような大打者にならなければという焦りから徐々に自分を見失う。冒頭で紹介したコメントのとおり、どん底を味わったのだ。 巨人で地獄を見た大田は、’16年オフに日本ハムへ移籍したことで才能を開花させる。’19年には打率.289、20本塁打、77打点のキャリアハイを記録。本誌にはこうも話していた。 〈巨人での8年間は、自分自身との戦いでした。もう二度とツラい思いをしたくない。移籍を機に弱気な自分と決別し、長所を活かそうと決めたんです。長打力を磨こうとね。春のキャンプでは一切テレビをつけず、イメージを叩きこもうと、メジャーでMVPになったカブスの強打者クリス・ブライアントの動画ばかり繰り返し見ていました〉 ◆「バットを握るのも怖くなりました」 ’10年に33本塁打をはなち本塁打王に輝いたオリックスのT―岡田も、その前年までは鳴かず飛ばずだった。本誌(’10年11月12日号)で次のように語っている。 〈完全に自分を見失っていました。打撃フォームもいろいろ試しましたが、結果に繋がりません。あれもダメこれもダメという状態で、バットを握るのも怖くなりました。(中略) 僕はプレッシャーに弱く、くよくよ考えるタイプです。エラーすると、2日ぐらい食事が喉を通らなくなります。いつもなら焼き肉を食べながら、ご飯大盛り3杯、冷麺にビビンバを軽く平らげるのに、気持ちが参ってしまうんです〉 T―岡田は’10年5月に当時の岡田彰布監督のアドバイスで、両足を動かさず重心を落としたままスイングするノーステップ打法を採用。ミート率が格段に上がりホームラン量産に成功する。 ヤクルトなどで日米通算2730本安打をはなった青木は、メジャーに在籍した6年間で7球団を渡り歩いた。’18年3月2日号の本誌で、米国での苦悩を告白している。 〈引っ越し続きの生活でした。特にカンザスシティやミルウォーキーなどの中部では、日本人のコミュニティもなくストレスがたまることもあった。口には出しませんでしたが、僕のために日本の食材をいつも用意してくれた妻(佐知夫人)は相当苦労したと思います。(中略) 戸惑いましたね。毎週のように長距離移動があり連戦で疲れるため、練習量は抑えられます。日本では一日1000スイングほどしていましたが、米国ではその5分の1くらいでした〉 偉大な記録を打ち立てた惜別のレジェンド選手たち。だが栄光を掴むまでには、人知れずもがき苦しんだ時代があったのだ。
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