岡田武史は、なぜ教育に人生をかけるのか。決断の裏に「極限状態」での原体験【インタビュー前編】
「1997年に当時の監督がカザフスタンで更迭され、監督経験のない僕が急きょ、日本代表の監督になって。当時は脅迫電話がすごく、自宅にも大勢の人が押し寄せ常にパトカーが待機するような状況でした。マレーシアのジョホールバルでのイランとの決戦の前夜、妻には『明日勝てなかったら日本に帰れない』と冗談抜きで伝えました。 かなり追い詰められた状況でしたが、ふと『急に名将にはなれないんだし、今の自分の力を100%出すしかない。死ぬ気でやって、それでダメだったら国民の前で謝ればいい』と思えて。開き直ったら急に怖いものがなくなり、ドンと構えられたんです。 生物学者の村上和雄先生は、『人は極限状態になると遺伝子にスイッチが入る。氷河期や飢餓に耐えてきた人類は強い遺伝子を持っているが、便利で安全で快適な社会では遺伝子が眠っている状態だ』とおっしゃっているのですが、まさに遺伝子にスイッチが入った瞬間でした」 そして、岡田氏の人生は大きく変わり始めます。些細なことでは動じなくなり、また、もともと人前に立って話すことが苦手だったそうですが、それも問題なくできるようになりました。 自身が経験した『遺伝子にスイッチが入る』体験を、子どもたちにもしてほしい。便利で安全で快適な環境から飛び出して、挑戦してほしい。そんな思いが、学校作りへの参画を決意した大きな要因となったのです。
「教育でしか、世界は変えられない」
そしてもう一つ、岡田氏を教育に誘ったきっかけがあります。それは、大学時代の恩師との出会い。早稲田大学のサッカー部の顧問であり政治経済学部の教授でもあった恩師の言葉が、今も胸に残っていると言います。 「常々、サッカーも学問も、自分は人類愛のためにやっているんだ、とおっしゃっていました。愛には、自己、パートナー、家族・友人、人類、地球の5段階があり、どのレベルで考え決断しているかを常に意識せよというのが、恩師の教えでした」 そこから岡田氏は、いつか自分も人類や地球のために何かができる人間になりたいという思いを持つようになりました。その思いを体現すべく、2010年のワールドカップで代表監督を退いた翌年からは、環境教育や野外活動の取り組みを開始します。 「実際にそうした活動に取り組むなかで改めて感じたのが、教育でしか世界は変えられないということです。今や、資本主義経済やポピュリズムの限界が見え、世界の分断が進み各地で紛争が起こっています。この状況を変えるには、人の考え方や心のあり方を変えていくしかない、そのためには教育しかないと思い、ならば残りの人生をかけてやってみる価値はあると、思いきりました」 ─── 後編では、FC今治高校で育てたい資質・能力とはどのようなものなのか、そのためにどのような教育を行うのか、そして、開校を前に何を思うのか、引き続き岡田氏にお聞きします。
プロフィール 岡田武史 1956年大阪府生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、古河電気工業サッカー部(現ジェフユナイテッド市原・千葉) に入団し、日本代表に選出。1990年に現役引退後、日本代表コーチなどを経て、1997年に日本代表監督に就任。W杯 フランス大会に出場。2007年に2度目の日本代表監督に就任し、W杯南アフリカ大会ではベスト16に導いた。2014 年、FC今治のオーナーに就任。2019年には日本サッカー殿堂入りを果たした。2024年4月開校のFC今治高等学校学園長に就任。