箱根駅伝まであと一ケ月…一年に一度の勝負を分けるのは「メンタル」だ!
箱根駅伝に「なぜ」命がけになれるのか?
――金さんが大学時代に箱根駅伝を走った時と現在の箱根駅伝では、ずいぶん変った部分もあれば、逆に変わらない部分もあると思います。 金 やはり今の若い子というか、最近の選手の気質は自分たちの頃とは変わっていて、その部分も『俺たちの箱根駅伝』ではよく描かれていると感じました。小説の中で甲斐監督の指導に選手が疑問を呈す場面がありますけど、本当に今の選手は他校が「こんな練習をやっています」という情報を仕入れてくるのも早くて、それに対して頭ごなしに言うのではなく、「この練習は今のお前に対して、こういう理由で必要なんだ」と納得できる説明が必要になると、先日もある監督が話していました。 僕の頃は、早稲田大学には瀬古利彦さんを育てた中村清さんという、ものすごい名伯楽がいてね。他からも「軍隊式」って言われていたけど、もともと中村先生は本当に戦争の時に軍人として戦場で戦った経験があって、戦争後も狩猟をするために家に猟銃を持っていたんです。ある時それをみんなの前に持ち出して、「お前たちは陸上に命をかけられるか」「俺は命を張って戦場で戦ってきたんだ」と……パワハラとかじゃなくてもはや脅しですよね(笑)。殴ったり暴力は一切なかったですけど、生きるか死ぬかの勝負に挑むんだと洗脳されてましたから、中村先生の時代の早稲田は強かったですよ。 瀬古さんを筆頭に日本代表になった部員もいましたけど、そういうエリートと僕らははっきり分けられていて、「お前らは駄馬だ」と言われたこともありました。でも「駄馬は駄馬なりに一生懸命頑張れば、箱根では活躍できるんだから頑張れ」と言われてね。まだ出雲駅伝はない時代でしたが、全日本大学駅伝があることさえ教えてもらったことがないから知らないし、早慶戦や六大学陸上くらいでしかレースに出ないから、持ちタイムの記録も全然遅いんだけど、箱根だけはめちゃくちゃ速いという(笑)。 ただ、やっぱり時代は変わっても、今も昔も変わらないのが箱根駅伝は特別な大会だということですよね。「なぜそこに命がけになれるのか」ということを、指導もされましたけど、僕らも自分自身で考えながら走ってきました。箱根駅伝にすべてを懸けて1年間を過ごす中、その「なぜ?」は選手によって違ってもいいんです。『俺たちの箱根駅伝』でも、親の話が出てきたり、チームメイトのためだったり、なぜここまで頑張れるのかという背景にそれぞれの個性が出ていておもしろかったですね。 もちろん大学ごとのカラーがあって、青山学院大学はこういう指導をされています、早稲田大学はこういう指導をされています、といったことも現実的にはあります。でも、小説で描かれたように選手ごとのストーリーがあって、そこはテレビ中継のVTRでも流されるけど、選手の人となりやバックグラウンド、ちょっとしたエピソードについてもすごく取材されています。新聞でも事前にいっぱい報道されて、選手名鑑も本屋にずらりと並ぶ。オリンピック選手以上の注目度かもしれない(笑)。 箱根駅伝にはプレッシャーもすごくあるし、注目度もすごく高いし、沿道からの歓声や応援の雰囲気が、ほかの大会とはまったく違います。「頑張れよ」というだけで頑張れる大会では決してないんだけど、結局は、駅伝というのはチームで走るものなので、学校の名誉のためや自分のためというよりも、いちばんは他の選手のため、あるいは補欠に回った選手のため――あれだけ頑張っているのに、本当に1年間大会にまったく出られない選手もいるわけです。同じ釜の飯を食ってきた仲間のためにも、頑張ろうという気持ちは絶対誰にでもあるはずです。 僕の経験で話すと、4年間ずっと山登りの5区を走って、1年生の時は4位でタスキを受けて2位まで上がる「抜く」経験をしたけれど、2年生、3年生、4年生とトップでタスキを受けて、トップでフィニッシュしているから、まったく誰とも競り合ったことがないんです。それでも全力で頑張るのは、復路の選手に1秒でも楽をさせてあげたいから、それだけでした。上級生になってからは区間賞を獲るだけの力があると自信もあったので、とにかく復路の選手のことだけを考えながら全力で走って、結果として区間賞を獲れたという感じです。 今は箱根駅伝の5区で活躍して、チームの優勝に貢献する「初代・山の神」「新・山の神」とかどんどん出てきていますけど、ぼくは「古代・山の神」だと、よくネタで言っているんですよ(笑)。古代シーラカンスみたいなものですけど、もし『俺たちの箱根駅伝』がドラマの時は、たくさんの駅伝もマラソンの解説も経験してきましたし、演技指導でも何でもやりますよ(笑)。