田原総一朗氏「さよならナベツネさん、もう一度話したかった」
読売新聞グループ本社主筆の渡辺恒雄氏が、12月19日に亡くなった。98才だった。石破茂首相は同日、「偉大なジャーナリストだった」と語り、岸田文雄前首相が「一つの時代が終わった」と話すなど、各界から追悼の言葉が相次いだ。 渡辺氏は中曽根康弘氏、小泉純一郎氏、安倍晋三氏をはじめ、政財界に幅広い人脈を築いていた。プロ野球巨人のオーナーを務めたし、スポーツ界にも大きな発言力を持ち続けた。このためか、メディアの世界以外にも「ナベツネ」のニックネームはよく知られていた。 僕はある時期まで渡辺氏と交流があり、一緒に野球を観戦しながら意見を交わしたこともある。 渡辺氏と僕は、根底に強い反戦思想がある点で共通していたと思う。僕は小学校高学年の頃に戦争が終わった世代で、周囲の大人の価値観が180度ひっくり返るのを目の当たりにし、それが後の発想や判断の基になっている。一方、渡辺氏は僕より8才年上で、戦時中に過酷な軍隊生活を経験したことが大きいようだ。雑誌で対談したときに渡辺氏は、軍隊で連日、理由もなく殴られ、蹴られ、ひどい目にあった、と語っていたのをよく覚えている。 僕は、ジャーナリストとは取材し論評することにとどまらず、自分の意見を相手にぶつけてよいと思っている。また取材対象とも積極的に関わってもかまわないと考えてきた。この点でも渡辺氏と共通するかもしれない。 渡辺氏は政治家におもねることがまったくなく、歴代の総理大臣に対しても言いたいことを言ってきたと思う。常にあるべき姿を考え、それを実現しようとしていたように映る。僕とは考え方が違うところもあったが、日本を変えたいという強い思いを持っていた。そのための人脈や知見を備えていたから、あるべき姿を実現する自信もあっただろう。 僕と渡辺氏との間に距離ができたのは、プロ野球が再編騒動に揺れたときだったと思う。 当時ライブドア社長だった堀江貴文氏が大阪近鉄バファローズ買収を表明。僕はここで堀江氏を支持したが、渡辺氏は堀江氏に対して否定的だったとされ、この頃から疎遠になった。もう一度話したいと思っていたが、かなわなかった。 渡辺氏のような、さまざまな影響力を持つジャーナリストはもう出てこないだろう。つつしんでお悔やみを申し上げる。
田原 総一朗