ヤーレンズ・出井隼之介が綴る、去年のM-1前/後日譚
今年もM-1グランプリの決勝進出を決めたヤーレンズ。ツッコミの出井隼之介さんが、初出場だった昨年から今年の夏までの激動の日々を綴ります。(「群像」2024年9月号より転載) 【写真】ヤーレンズ・出井さん
タバコ止めるから仕事くれ!
「タバコ止めるから仕事くれ!」と渥美清が小野照崎神社の賽銭箱にタバコを投げ入れ手を合わせた翌日に『男はつらいよ』の仕事が舞い込んで来たなんて伝説もあるが、僕は去年の夏頃「ふと思い立って」禁煙を開始した。 「ふと思い立って止める奴はよほどの変態だ」と元喫煙仲間からは相当に驚かれ、まるで犬に服を着せている人を見る様な目で見られた。ニコチンの離脱症状で一睡も出来ない辛い日もあったし、翌日に仕事なんて舞い込むはずもなく、ただ『男がつらい』だけだったが、これを書いている時点でもう既に300日ほど止めている。 日数に関しては、禁煙アプリなるもので管理しているので間違いない。それによると、1日1箱計算で14万円以上浮いた事になるらしいし、心臓病のリスクも下がっていて、疲れやすい体質も改善されているらしい(そう言われたらそんな気もしてしまうから、AIに世界が乗っ取られる日も近い)。 今ではもうタバコを吸いたくならない。あまり、ならない。たまに、ごく稀に……町中華の店先にぶっきらぼうに置いてある煤まみれの灰皿を見つけた時。そこで美味そうに煙を吐き出してるおじさんを見かけた時。もしくは、犬に服を着せて歩いている人を見た時なんかにちょっと吸いたくなる事はある。つくづくニコチンレースは最初から吸わなかった人が一位、吸ってる人が二位、止めた人が三位の過酷な競技だ(犬に服を着せている人は五位)。 思えば禁煙を開始した300日前当時は、切羽詰まっていた。毎日ライブに行って二束三文の出演料を握りしめて帰ってくる、何も変わり映えのしない日々。それも何年も何年も。見るのも辛い、まるで犬に服を着せる様な日々だった。それでも「この仕事は人生が一変する可能性がある!」と信じてきたし、折れないように「売れたい」とお題目のように唱えてきた。 年末に、漫才日本一を決める『M-1グランプリ』の決勝に進出した。僕は発表の瞬間思わず涙した。自分は悔しいはずなのに祝福してくれる仲間達、嬉しそうなマネージャー陣、感情が壊れたのか、服を着せられた犬のように不気味な表情の相方。そのまま本番を迎え、夢にまで見た舞台で漫才をした。