大谷翔平にも鈴木誠也にも「バッティングは負けたくない」…“ドラフト9位から這い上がった男”佐野恵太29歳が語る同世代スターへのホンネ
甲子園出場経験なし、ドラフト最下位指名。「大谷世代」と呼ばれる1994年度生まれの“遅れてきた男”佐野恵太を覚醒に導いたのは、かつての指揮官アレックス・ラミレスによる抜擢だった。今季、チーム内で激しい競争にさらされる佐野が、同世代の大谷翔平にも鈴木誠也にも「負けたくない」と語るバッティングへのこだわりとは。いまも試行錯誤を重ねる29歳の矜持に迫った。(全2回の2回目/前編へ) 【写真】「なぜドラフト9巡目まで残っていたんだ…」躍動感がスゴい学生時代の佐野恵太や本人が語る「忘れられないあの一打」、気合入りすぎ“ガチのデスターシャ”も一気に見る(全20枚)
なぜラミレスは佐野恵太をキャプテンに抜擢したのか
横浜DeNAベイスターズ・佐野恵太のプロ野球人生には、大きな転機が2つあった。ひとつはセ・リーグ最下位のドラフト9位で指名されたこと。置かれた立場こそ厳しかったが、持ち前のバイタリティーで克服した。 そして、もうひとつは上司との出会いである。入団した時の監督であるアレックス・ラミレスによって、佐野の能力は引き出された。常識にとらわれない思考の持ち主である指揮官が大胆な策を講じたのは、2019年の暮れである。佐野を食事に誘い、チームのキャプテンへの就任を打診したのだ。 佐野は今もあの時、ラミレスから言われた言葉を鮮明に憶えている。 「キャプテンとしてやっていける能力の8割、9割をすでに兼ね備えていると思うから、もう何も変えずにやってくれ」 ラミレスは佐野の打撃センスに惚れ込んでいた。スイングスピードの速さ。初球から仕掛ける積極性。バットコントロール。さらにナインを和ませる明るい性格。チームの先頭に立つ資質があるとみられていた。 それでも、佐野が驚くのも無理はない。プロ3年目を終えたばかりの25歳はレギュラーではなかったからだ。だが、ラミレスが発した次の言葉に佐野は心が沸き立つ思いだった。 「4番でレフトの開幕も、もう決まっているからね」 そのシーズン限りで、5年間、キャプテンとして率いてきた筒香嘉智がメジャーリーグ挑戦のために退団していた。大黒柱が背負ってきた「キャプテン」だけでなく「4番レフト」まで佐野に託そうというのだ。 「本当にビックリしました。ただ、期待に応えなきゃいけない思いもありましたし、よくバッティング練習が終わると、室内練習場に特打をしに連れて行ってもらっていました」 実はラミレスも2年掛かりで準備していた。2019年に佐野を11試合、4番でスタメン出場させたのは、翌年以降に筒香がいなくなることを想定した抜擢だった。下地を整えたうえで、大役を任せたのである。 指揮官の我慢強さはグラウンドでも現れた。4番で固定された2020年は開幕から、なかなか本塁打が出なかった。ネフタリ・ソトらが前を打ち、宮﨑敏郎らが後ろを固め、強打者に挟まれる格好になり、「つなぎの4番」とも称された。それでも、ラミレスは佐野を4番から外さなかった。 一発が出たのは、7月22日のヤクルト戦(横浜)である。28戦目、116打席目でのシーズン1号は、12球団の開幕4番で最も遅いアーチだった。ラミレスが辛抱して使い続けると佐野の打撃は一気に上向いた。ここからアーチを固め打ちし、75試合で20本塁打と量産したのだ。とりわけ、10月には球団タイ記録となる5試合連続本塁打を放った。
【関連記事】
- 【最初から読む】“ドラフト最下位指名の男”が味わった絶望「もうダメかな…」“遅れてきた大谷世代”佐野恵太が下剋上を果たすまで「甲子園が羨ましかった」
- 【写真】「なぜドラフト9巡目まで残っていたんだ…」躍動感がスゴい学生時代の佐野恵太や本人が語る「忘れられないあの一打」、気合入りすぎ“ガチのデスターシャ”も一気に見る(全20枚)
- 【必読】大谷翔平が発言「彼にはかなわない、負けたと思いました」青森にいた“怪物中学生”…なぜプロ野球を諦めたのか? 本人語る「大谷と初めて話した日」
- 【あわせて読みたい】バー店主に転身した“大谷翔平のドラ4同期”「彼をウリにしたくない」ワケは…大谷の隣で「ただ精一杯だった」宇佐美塁大の“プロ5年間”
- 【証言】大谷翔平、監督の目を盗み“サク超え連発”伝説…花巻東同級生が明かす「高校通算56本塁打」の本気を見た日「引っ張れば200本でも打てた」