日露戦争・旅順の戦い、乃木希典は想定外の局面にどう対応したのか…通説と異なる新しい知見で詳述
また、通説では203高地の攻略は、満州軍総参謀長として第3軍を指導した児玉源太郎の功績が大きかったとされるが、「乃木、軍司令部幕僚、師団参謀も攻略の立役者であった」と記す。乃木には判断ミスもあったが、犠牲の多い強襲攻撃をやめて、壕を掘って敵に近づく正攻法の戦術に転換したことや、同高地を決戦場と見極めたことなどを丁寧な資料分析で紹介している。
乃木の評価は、時代によって二転三転してきたが、名将論の多くは「良質な資料に基づいていない」と指摘。その上で、大きな損害を出しても部下から不平が出なかった統率力や、自ら前線に足を運ぶことで将兵の信望を集めた点を評価し、「乃木と軍司令部は開戦前には予期できなかった数々の事態に良く対応した。失敗からどう立て直すかがリーダーシップの条件で、それをやってのけた乃木は立派な指導者といっていい」と話す。
長南さんは、ロシアによるウクライナ侵略でのドローンの活用など、過去の戦争になかった事態に対し、「ウクライナは良く適応し、ロシアは失敗した」と見ており、「戦場でも一般社会でも予期しなかった新たな事象が起き、それに柔軟かつ巧妙に対処できるかが成否を分ける。乃木の戦いは現代人にも教訓になるはずだ」と話している。