【新春対談 阪神・森下×女優・伊原六花(2)】戦うフィールドは違っても、引き出しの重要性は同じ
(1)からつづく 森下 伊原さんは今、芝居や声優など活動の幅を広げられていますよね。仕事で大変なことはありますか。 伊原 もう…毎回です。同じことが何一つないので。例えば「ドラマ」とひとくくりに言っても、復讐(ふくしゅう)もの、純愛ものなど“これやったことがあるな”というのがない世界。バラエティーを極めている人にも凄くリスペクトがあるし、映像の現場に行けば“こういう役者さんになりたい”とリスペクトできる人がいる。各現場で自分との“壁”がありすぎます。森下選手もプロでの2年間を振り返ると、大変なことも多かったですか。 森下 相手に研究されるので、そこはキツいな…と思いました。でも、研究されることを見越して練習もしていたので、(弱点に)アタックされた時も不安になるということはなかったです。“やっぱりな”と、予測はできていました。基本的に野球は“受け身”の状態で始まります。投手が投げないと打者も打てないし、打者が打たないと守備もできない。予測だけは常にしています。伊原さんは芸能活動の際に努力や準備など、心がけていることはありますか。 伊原 ダンスをやっていた高校3年間で“いかに準備が大事か”を凄く感じたので、それ(準備)がクセになっています。何かを演じる上で、自分の中にある「感情の引き出し」は、自分が(過去に)経験したものでしか表現できない。例えば、私の「悲しい」という表現が一つしかなかった時、違う「悲しい」を表したい場合は、それをインプットする必要があります。映画もただ見るだけじゃなく“こういう表現ができたらいいな”と考えて、新しい引き出しを増やして、どの「悲しい」を出すか。そういう選択肢は日々、自分に入れていかないと、成長はない。ないものは、入れられる間に入れていこう、と意識しています。 森下 引き出しを増やすという考えは、僕も大切にしています。自分は大学で引き出しのなさに気づいて、トレーニング施設に通い始めました。大学3年生の時に自分の感覚論や“これまでの知識では無理だな”と思ったことが変わるきっかけになり、プロにも入れました。引き出しを増やすことだけはブレずに。外的要因は環境に支配されるものだと思っているので、内的要因だけは軸を持ってやることを意識しています。 伊原 しっかりとした考えを持った2年間を終え、チームの先輩や後輩からの視線、接し方は変わりましたか。 森下 1年目は“本当に自由にやらせてもらっていたな”というのは昨年気づきました。3年目までが一つの区切りだと思っているので、3年目までにレギュラーに定着して、後輩たちにも背中を見せないといけない。言い方は悪いですけど“3年目までは自分だけにフォーカスしてプレーしたい”と、プロに入る前から思っていました。ある程度、結果を残した状態で自分も成長したい。今年は節目の年です。伊原さんも高校での3年間を終えて芸能界の道に進まれましたが、当時、全く違う世界へ飛び込むことに不安はなかったですか? 伊原 将来の夢として“芸能界に入る”ということは全く思っていなくて。ダンスで表現することを“将来も続けられたらな”と思っていたので芸能界は夢にも思っていなかったです。その中で声をかけていただいた。目指していなかったからこそ、すぐに判断できるものではなくて…。ずっと大阪にいたので、一人で上京する不安もありました。ただ両親が背中を押しまくってくれた。もちろん簡単な世界でないことはわかっているけど「人生で声をかけてもらうチャンスがあるって凄いこと。“死にたい”と思うほど、無理だったら帰っておいで。とりあえず行っておいで」と言われて。“確かにそうか、できるところまでやってみるべきか”と思いました。 森下 両親の押しっていうのは、かなりデカいですよね。相談できる相手ってめちゃくちゃ少ないし、一番見ているのが両親。僕も高校の時、両親に「好きな選択をしろ」と言われて、めちゃくちゃ悩んだ末に大学進学を決めました。大学に進学してもプロに行ける保証は一つもないけど、大学を選択しました。両親の一言がなかったら、ずっと悩んで、結局高卒で“プロ行こうか…”とモヤモヤした状態でプロに行って、活躍できなくて…という結末があったかもしれない。決断する時の親の言葉は凄く大事ですよね。 伊原 25歳になって“これから先、どうしていこうか”と考えることもあります。ただ、今までのダンスと同じくらいの熱量を注げるものが今、芝居になっているので、この世界で仕事をやっていきたいという気持ちがあります。今は自分のためにやっていますが、その活力をもらっているのは、圧倒的に家族の存在。毎日5時間くらいテレビ電話していますよ(笑い)。 森下 ご、5時間!?5は凄い!せめて1、2時間じゃない?ライブ配信みたい(笑い)。 伊原 そうです、そうです(笑い)。こっちは自分の日常を映しながら、たまに会話します。向こうはご飯を食べている人がいて、母は洗濯をして、姉は子供をあやして。みんなそれぞれ別のことをして、気づいたら5時間(笑い)。電話、オススメです! 森下 昨年12月から1人暮らしを始めたので、時間があればやります。高校から今までは寮生活だったので。満期を迎えました(笑い)。新居も、最近まではただの寝床のような感じだったんですけど、家具もそろってきて、家っぽくなってきました。 伊原 料理はしないんですか? 森下 この前はカレー!レトルトの(笑い)。目玉焼き2つと、ウインナー4つを焼いて乗せました。 伊原 ぜいたくカレー!体も大事ですもんね。実は今回、「となりの人間国宝さん」のステッカーを特別にお借りしてきました。森下選手、自炊が上手になったら「となりの人間国宝さん」に認定させていただきます!一つ、これが作れるようになったら…というメニューを決めましょう。目玉焼きとウインナーは焼けるとのことなので…。手作りハンバーグはどうですか? 森下 ハンバーグ、めっちゃ好きです! 伊原 野菜も切らないといけないし、こねて、ソースも自家製で作ってくださいね! 森下 現役のプロ野球選手で「となりの人間国宝さん」に認定された方は、いないですよね?頑張ります!もうイメージはできていますよ。牛肉ミンチを準備して、タマネギを切って、塩こしょうを振って、こねる。空気を抜いて焼く…。 伊原 今、野菜はタマネギしか入っていないですけど…(笑い)。他にはニンジンとか、ピーマンとかかな。 森下 ピーマンって普通は入っていますか? 伊原 タマネギだけでも肉肉しくていいんじゃないですかね? 森下 肉汁が出る作り方、何かの番組で見たな…。あ、そうだ。中に氷を入れるんですよ。そうすると焼いたときに水蒸気で肉汁がいっぱい出ます。 伊原 へー!知識はめっちゃある(笑い)。 森下 豆知識だけは凄いでしょ(笑い)。 (3)へつづく ◇森下 翔太(もりした・しょうた)2000年(平12)8月14日生まれ、神奈川県出身の24歳。東海大相模、中大を経て22年ドラフト1位で阪神入団。新人の23年はDeNAとの開幕戦で「6番・右翼」でデビュー。94試合で10本塁打、41打点。同年オリックスとの日本シリーズは7打点の新人最多記録で日本一に貢献。24年は8月13日の巨人戦で初の4番など129試合で16本塁打、73打点。11月のプレミア12では全試合で侍ジャパンの4番を務めた。1メートル82、89キロ。右投げ右打ち。 ◇伊原 六花(いはら・りっか)1999年(平11)6月2日生まれ、大阪府出身の25歳。幼少期からバレエや子供ミュージカルを習う。大阪府立登美丘高校時代にはダンス部キャプテンを務め、17年8月の「日本高校ダンス部選手権」で発表した自身がセンターを務める「バブリーダンス」が注目を集める。17年から芸能活動を開始し、18年のTBSドラマ「チア☆ダン」で女優デビュー。24年4月からはMBSラジオ「伊原六花のMBSヤングタウン」でパーソナリティーも担当。「となりの人間国宝さん」でおなじみのカンテレの人気情報番組「よ~いドン!」ではレギュラーも務める。1メートル60。血液型A。