「狭い家は“かわいそう”なのか?」19坪の家で育った一級建築士が大人になって気づいた、狭いからこその“幸せ”とは
こんにちは。一級建築士として住宅に関するお仕事をしながら、7歳娘と4歳息子を子育て中のともです。 【あわせて読みたい】建築士ママが提言!賢い子に育てたいなら「子ども部屋」でやってはいけないこと 早速ですが皆さんは「19坪の家」と聞いてどう感じますか? 狭い、大変そう、可哀想……なんて思った方もいるのではないでしょうか? 実はこの19坪の家は私の実家です。当時は友達の家に遊びに行くたびに、広々としたリビングや庭がとても羨ましかったのを覚えています。「こんな広い家だったら、もっと楽しいことがたくさんできるだろうな……」と、子どもながらに憧れていました。 でも、今だからこそ言えることがあります。それは、狭い家にも「狭いからこそ得られる幸せが沢山ある」ということです。
19坪の家での暮らしを振り返ると……
4畳の子ども部屋を与えてもらった私ですが、当時はそのサイズを少し窮屈に感じることもありました。特に家で仕上げる課題がいっぱい出されていた大学の建築科時代のときは本当に大変で……。 しかし、あの狭さのお陰で、大切な思い出が沢山あることに気づいたのです。当時を振り返り、そんなエピソードをご紹介します。
「家の広さ」は満足感が得やすいもの、だけど……
私たちは目に見えるものを基準に幸せや満足感を計ろうとしてしまいがちです。特にSNSの普及により、以前よりも他人の住まいを垣間見える機会が増えました。綺麗な家や広いリビング、オシャレな内装は一目見て「素敵だな」と感じる一方で、自分と比較して落ち込む方も多いのではないでしょうか。確かに視覚的な要素は、幸福感を形にする具体的な証拠であり、誰もが認めやすいものですよね。 しかし、目に見える部分だけがすべてではありません。実際、家での生活がどれほど快適か、心がどれだけ満たされるかは、目に見えない要素が大きいと思っています。私はまさに、子ども時代の狭い実家暮らしから「目に見えない部分の大切さ」をいま感じています。 私の実家にはダイニングテーブルやソファはなく、広めの座卓のみが置いてあります。この座卓を中心に家族みんなが集まってきます。狭い空間だからこそ、家族全員が互いに関わり合い、助け合いながら生活することができました。誰かが喧嘩をして、家中の空気感が悪くなることもしばしばありましたが、今ではいい思い出です。