フランスの「半大統領制」とは? マクロンにとって正念場の国民議会選
ド・ゴールが大統領の直接公選制を導入
憲法の規定だけを見ると、大統領の権限は首相と比べてさほど強いわけではありません。むしろ首相こそが特に議会との関係に着目すると行政府の真のリーダーであるようにも思えます。しかし実際の政治では大統領が強いイニシアティブを有しています。それは大統領が国民によって直接選出されているからです。とは言え、現在の第五共和制(1958年~)の憲法は当初、現在のような直接選挙ではなく、間接選挙による大統領選出を定めていました。 古くからフランスでは議院内閣制が採用されていましたが、第三共和制期(1870~1940年)では「議会支配型の議院内閣制」と称されるほどに、内閣の権限が弱く議会の権限が強いものでした。さらに、大統領の権限の多くは国家元首としての儀礼的な行為に関するものでした。大戦後の第四共和制期(1946~1958年)でもこの政治制度は根本的に変わらなかったため、第五共和制憲法は「強い行政府」の政治構造を設計しました。 しかし、当初の第五共和制憲法が想定していたのは「強い首相・内閣」であり、「強い大統領」ではありませんでした。大統領は間接選挙によって選出されるため、行政府の真のリーダーというよりは、国家の運営において問題が生じた際の「裁定者」としての役割を期待されました。にもかかわらず初代大統領ド・ゴールが「強い大統領」として振る舞うことができたのは、大戦の英雄としての彼自身のカリスマ性によるものでした。そこでド・ゴールは、彼の後に続く大統領も「強い大統領」となれるよう、1962年に憲法改正を行い、大統領の直接公選制(二回投票制)を導入しました。
大統領の会派と議会多数派が異なる「コアビタシオン」
大統領直接公選制の導入によって、国民の信任に直接依拠する大統領が首相に優越する行政府の真のリーダーとなりました。この政治状況は、大統領の会派と国民議会多数派とが一致しているときには問題がありませんでした。 しかし、この政治状況を一変させたのがコアビタシオン(cohabitaion)です。コアビタシオンはフランス語で「同棲」を意味し、政権内に保守会派(右派)と革新会派(左派)が共存していることから、日本では「保革共存」とも意訳されます。 まず、ミッテラン大統領の第一次左派政権期(1981~1988年)に、1986年の国民議会選挙で右派が勝利し、大統領の会派(社会党)が国民議会少数派となりました。そもそも議会に関与できるのは、大統領ではなく、国民議会多数派に依拠する内閣であるため、ミッテランは国民議会少数派である自らの会派から組閣すると議会運営が不可能になるとして、多数派であった右派のシラクを首相に任命し、右派内閣を形成しました。つまり、大統領の会派と内閣の会派(議会多数派)」が異なる政治状況となったのです。これを第一次コアビタシオン(1986~1988年)と言います。 同様に、ミッテラン大統領の第二次左派政権期(1988~1995年)にも右派のバラデュールが首相に任命され第二次コアビタシオン(1993~1995年)が、シラク大統領の第一次右派政権期(1995~2002年)には左派のジョスパンが首相に任命され、第三次コアビタシオン(1997~2002年)が生じました。コアビタシオンでは、国民議会多数派に基づく内閣の長である首相が、行政府の真のリーダーとなりました。 コアビタシオンが生じるのは、憲法の定める大統領の任期が7年であるのに対し、選挙法典の定める国民議会議員の任期が5年と、大統領と国民議会議員の任期が一致していないためでした。そこで2000年に大統領の任期を5年に短縮する憲法改正が行われました。 これにより2002年(第二次シラク大統領右派政権誕生)、2007年(サルコジ大統領右派政権誕生)、2012年(オランド大統領左派政権誕生)には、大統領選の直後に国民議会選挙が行われて、大統領選の民意が国民議会選挙にも反映されたため、大統領の会派と国民議会多数派とが一致し、コアビタシオンは生じませんでした。 なお、フランスには元老院(上院)が存在し、二院制が採られています。元老院議員は間接選挙により6年の任期で選出され、3年毎に半数改選が行われます。日本で2007年に衆議院と参議院で多数派が異なる「ねじれ現象」が話題になりましたが、フランスでは国民議会と元老院で多数派が異なる政治状況はさほど珍しいものではありません。