チャイ、バインミー、トルコスタイル――名古屋の「朝」を賑わす、異国風モーニングがアツい
「前はここ、喫茶店だったんですよ。その時分からみんな来とって、モーニングを楽しんでたんです。でもママさんが病気になって、店をやめちゃってね。そこに入ってきたのがアローラたちってわけ」 やっぱり毎日欠かさず通っているという袖野次郎さん(74)が言う。どうも、新しく居抜きで借りるのは外国人らしい。どんな店になるのだろうかと、開店前の工事に立ち会うアローラさんに声をかけたのは、これまた元の喫茶店の常連だった木村憲代さん(74)。 「なにを開くのって聞いたの。インド料理だっていうから、それじゃモーニングもやってくれないかなって、みんなでお願いしたんです」
なかなか突拍子もないリクエストのようにも思うが、この店でのモーニングが近所の人たちの憩いの場だったと聞かされて、アローラさんは快く引き受けた。それからは毎朝7時30分に店を開け、純名古屋スタイルのモーニングを出すようになった。 「朝ここに来て、一日が始まるんです。それから自分の店を開けて」 すぐそばでスポーツ用品店を営む木村さんは楽しそうに言う。やがて喫茶店時代の常連たちが、『デリーパレス』のモーニングにやってくるようになる。賑やかな年配客を朝からもてなすのは、ふたりのインド人だ。
「これサービス」 アローラさんがバナナを配れば、負けじとおばちゃんたちもどこかのお土産らしいお菓子を配り合う。そこに「はい、ナマステ」と、インドの挨拶を口にしながら、また違うおばちゃんがやってきて、笑いに包まれる。店は毎朝この調子なのである。
毎朝のチャイと会話が若さの秘訣?
「日本に来たのは、ちょうど2000年のことです。インド料理店のコックとして、名古屋の栄のレストランで働きはじめました」 アローラさんは振り返る。やはりコックとして日本で働いていた兄を頼っての来日だった。 「最初はね、言葉がわからなくて本当に大変でした。でも、店には日本語をよく教えてくれる日本人がおってね。働きながら言葉を学んでいきました」 勤めていたレストランはその当時、日本各地に支店を持っていて、アローラさんも神戸や三重、徳島などでも働いた。しかし、いちばん長かったのは名古屋だ。だから愛着もあれば言葉の端々にも名古屋のなまりが出る。2017年に『デリーパレス』のオープンを決めたときも、やっぱり名古屋で出店をした。 「名古屋も長いですからね。モーニングは知ってました」