SNSで話題「髭男爵 山田ルイ53世のそっくりさん」の意外な素顔。パチンコデザイナーから印鑑職人に転身、苦境を乗り越えて
月に1本も売れず宅配便のアルバイトを始める
そうして家業に入った井ノ口さん。「営業して新規の注文をとってくる」「店を大きくしてあげる」と両親に豪語するも、現実はうまくいかなかった。 「店の周辺が工場地帯なので、会社をまわれば印鑑の受注はいくらでもあると考えていたんです。甘かったですね。営業経験がなく、門前払いの連続でした。1本も売れない月もあったんです。印鑑の製造に他業種が参入し、安いゴム印が普及し始めた時代でもありました」 印鑑のデジタル化こそまだ進んではいなかったが、廉価なゴム印の製造で他業種や海外からの参入が増えていた。井ノ口さんはここで初めて印鑑業界の危機を肌で感じたという。そして井ノ口さんは、店を大きくするどころか、自分の人件費のせいで店が赤字になるジレンマを抱えるようになってしまった。 「両親を安心させたくて京都へ戻ってきたのに、反対に両親に迷惑をかけてしまう。それがつらくて、夜はクロネコヤマトの宅急便で働いて自分の給料ぶんを稼ぐ日々でした」
時代に先駆け制作したホームページが業界重鎮の逆鱗に触れる
自分には印鑑業界はむいていない。もう辞めよう。そう諦めかけていた矢先、「ホームページで注文を取る方法がある」と知る。 「まだパソコンのOSがWindows95だった時代です。インターネットを使えば印鑑の注文を請けられるかもしれない。そう思って、まだ初版の頃だったホームページ・ビルダーを使い、今では考えられないような質素なWebサイトを制作しました。すると、ここからオーダーの依頼が届くようになったのです」 起死回生の一打だった。のちに隆盛を誇るECサイト、オンラインショッピングサイトのムーブメントに先鞭をつけたのである。「やっとこれで両親の恩に報いることができる」。そう安心していたのもつかの間、新たなトラブルが巻き起こる。 「アナログ作業の伝統がある京都では当時、デジタルに対する忌避感や嫌悪感がありました。そして印鑑業界のとある大御所が、講演会で『西野の印鑑は機械彫りなのに手仕上げだと嘘をついている』と堂々とデマ発言をしたんです。お年寄りですから、インターネットやホームページという聴き馴れぬ横文字が気に喰わなかったのでしょう」 年長者だった重鎮にとって「インターネット」「ホームページ」というIT用語は、海外から京都を襲いにきた得体のしれない化け物のような感覚だったのだろう。また、そんな舶来語を使う印鑑工房が手仕事をしているはずがないと勝手なイメージと憶測で発言したと考えられる。しかし聴講していた人数は100名を超え、噂はすぐに広がった。 「デマが飛び交い、訴訟を起こすかというところまでいきました。しかし周囲から『あのお方に逆らわない方がいい』『敵に回すな』と止められたんです。さらに『新参者が偉そうにするな』『お前が詫びを入れろ』と、いやがらせのメールまでもが届くようになりました」 それはまさに印鑑業界の闇と呼べる圧力だった。