ウェルネスメンター・吉川めいが考える“ヨガ”とは? 「不安なときに必要で、人を救ってくれるもの」
抑えきれない気持ちを書きなぐった15歳のジャーナリング
――15歳からジャーナリングを始めたそうですが、心を吐き出したいような、何か大きなきっかけがあったのでしょうか。 吉川 きっかけは、両親の離婚です。私は4人きょうだいの末っ子ですが、長女はもう独立していたし、その下の姉と兄はアメリカに留学していたので、家族の問題を独りで抱えるような状態になってしまったんですね。精神的にすごくきつくて、医者に行っても改善がなく、自分の気持ちや思いの吐き出し場所がノートだったんです。 ――1日の出来事をつづる日記ではなく、まさに今でいうジャーナリングを実践していた。 吉川 自分の気持ちを抑えずに、書きなぐるように吐き出すと、スッキリするんです。それに、書いたことをふと見返す距離感が持ててくると、「自分はこんな思考を、こんなに強くこれだけしつこく思っていたんだ」と、抱え込んだ気持ちに対する客観性が芽生えてきて、それが瞑想に繋がっていく。瞑想は座って客観的に観察することですから。もちろん、当時は瞑想のことなんて何も知らなかったけれど、自然とそれに近いことをしていたんですね。 ――その習慣に加えて、21歳からはヨガも始められたのですね。 吉川 ヨガを始めたときも、健康状態がとてもよくなくて。というのも、両親の離婚から数年後、今度は母が脳神経性の難病にかかってしまったんです。9つの大学病院を回った結果、余命10年の宣告を受けて。まだ学生だった私には相当の重荷で、不眠や、うつに近い状態になってしまいました。そこからヨガに出会い、呼吸を整え、さらに瞑想を続けていくことで、リピートし続ける心の声とも、やっと向き合えるようになっていきました。
「なぜ私だけが?」心の執着から解放してくれた一つの言葉
――その心の声とは? よければ教えてください。 吉川 最初は「Why?」です。なぜ私のお母さんが? なぜ治らない病気に? なぜ私が介護を? と。その次は「Why not?」。他の人のお母さんだったら…とか、母が47歳じゃなくて97歳だったら…とか。そうした考えに執着しているところから、ヨガやジャーナリングを続けるうちに心のなかに客観性ができてきて、「他の人のお母さんだったらよかったの? 自分はなんて傲慢なんだろう」と、心の姿勢がちょっとずつ謙虚になっていきました。 ――耐え難いことに直面すると、「なぜ自分だけが」という悲観や「他の人ならよかったのに」というエゴから逃れられず、自己嫌悪の日々が続いてしまいますよね。 吉川 実は、私も払しょくしきれずにいました。変えてくれたのは、ある母の日にスタジオの生徒さんからいただいた一通のカードです。「今日はめいさんのお母さんに『ありがとう』を言いたい。お母さんが病気になっていなかったら、めいさんはヨガを始めていなかったし、インドへも行かず、大切な教えを私に伝えてくれることもなかったから」と。 ――お母さまの存在やご病気を、そんなふうに受け止めてくれた方がいたのですね。 吉川 それを読んだときに、私は10年越しで初めて「Why」の答えが届いたように感じました。自分の心のあり方、心を開くことの素晴らしさを目の前に突きつけられたような気がして。この経験で学んだのも、やはり視点の変化ですね。 ――「Why」から「Why Not」という見方になり、そこから自分の傲慢さが見えてきて……。 吉川 そして、ヨガでいえば「サレンダー」、つまり心の執着を手放すという考えに至った。こんなふうに、視点の方向を肯定的にポジティブに変化させて、詰まっているものを流すように好転させられたら、人生が大きく変わってきますよね。ヒンディー語では「ジュガード」という言葉に近いのかな。 ――ジュガード……どのようなときに使う言葉ですか。 吉川 たとえば、みんなでA地点からB地点に向かう途中、予期せず断崖絶壁に遭遇した。1人は諦めて引き返し、1人はぶち切れて誰かのせいにする。さまざまな反応をするなかで、「そういえば友達がヘリを持っているから助けてくれるかも」と、その場に応じて発想を転換させたり、めげずに次の行動を起こしたりすることが「ジュガード」なのかな。 ――日本語でいえば臨機応変とか、その場でできる創意工夫? 吉川 そう! 発想をつねに最大限、柔軟に持つ。これって、すごく〝ヨガだな〞と思うんです。逆に、人間はそれだけ自分の思い込みや自分だけの信念にとらわれて行動しやすい生き物とも言えますよね。どんなときも、違う意識レベルから客観視することが大切で、その特訓が瞑想であり、すべてのヨガは瞑想の準備ともいえます。先ほど夫のお話をしましたよね。彼は超健康なアスリートでしたが、本当に突然の事故で、さよならを言う間もなく亡くなりました。でも、私は母の体験をしていたから、自分でも不思議なくらい、なぜ今?なぜ彼?という「Why?」が心のなかで起こらず、それが何より救いになりました。悲嘆や哀しみは変わらないけれど、「Why ?」に執着しなかったおかげで、私は狂わなかったのだと思います。 ――そうしたご自身の経験からも、「書く瞑想MAE Y method」などで心のしがらみをほぐすことの大切さを伝えている。 吉川 そうですね。その意味で、「書く瞑想」は、私が立ち直り、強く生きるうえでベースとなった考えをメソッド化したプログラムと言えるかもしれません。