「桐島は私が来ると思ってずっと湘南で待ってたんじゃないかな…」元メンバー・宇賀神寿一が明かす「さそり」結成と東アジア反日武装戦線合流、桐島聡への想い
「さそり」とはなんだったのか?
「9月に会おう」と、再会の場所と日時を確認して、お互い、逃亡者として生きる運命に身を任せた。宇賀神さんが指定した場所は、鎌倉の「銭洗弁天」。まさか、そこが「宇賀神社」だったとは、宇賀神さんも行ってみるまではわからなかった。 「約束した時間に、私はその場所へ行った。だけど沿線で爆弾事件があって、警察が動いていたこともあり、早々に立ち去った」 それから、49年。会うことがないまま、突然の今年の一報となった。会って話をしたかったが、一縷の望みも虚しく桐島さんは亡くなり、死に顔を見ることも叶わず、亡骸は荼毘に付された。 「あの手配写真のように、明るく笑う男だったよ。桐島は私が来ると思って、待っていたんじゃないかな。湘南を離れず、神社の近くで。それが、ちょっと悲しくなる。私も逮捕されるまでは桐島に会おうと、“約束の9月”に、神社に通っていたんだよ。報道で知る限り、桐島のやさしさが多くの人に親しまれ、桐島はありのままの“我”を楽しんで生きたのだと思う」 話し終えた宇賀神さんに、「さそりとはなんだったか」と、最後に尋ねた。飄々とした笑顔で、宇賀神さんはサラリと言った。 「さそりの半年は密度濃い時間とは言えなかったけれど、その後、非常に興味深い時間に引っ張られて生かされた。逃亡中、獄中、こんな経験、なかなかできない。得がたい、いい人生だった。まだ、終わっていないけど。負傷者を出してしまったことは、悔やんでも悔やみきれないものとして残っている」 取材・文/黒川祥子
黒川祥子
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