「桐島は私が来ると思ってずっと湘南で待ってたんじゃないかな…」元メンバー・宇賀神寿一が明かす「さそり」結成と東アジア反日武装戦線合流、桐島聡への想い
「さそり」と命名された本当の理由
9月23日には「爆死し、負傷した人間は“労働者”でも、“一般市民”でもない“植民者”だ」と犯行を正当化する声明が、「狼」名義で出された。宇賀神さん曰く、「居直り声明」だ。 「望んだわけではない多数の死傷者に対し、今後は決して出さないことを誓い、青酸カリでの自決を覚悟して闘うことが狼の総括だった」 三菱直前、黒川さんと宇賀神さんは水戸で、爆弾材料である除草剤を購入している。闘争の準備段階に入っていたとはいえ、惨劇を前に、武装闘争を断念する道もあったのではないか? 「身を引く、方針を変えるという気持ちにはなれなかった。黒川くんとの関係を絶ち、行方をくらますこともできただろう。しかし、私はそうしなかった。打ちひしがれている狼たちを置いて逃げるのではなく、一緒に誤りを総括して、人的被害を出さない闘いをしていこうと考えた」 10月、宇賀神さんと黒川さんは奥多摩で、初めて爆破実験を行なった。もちろん『腹腹時計』(注1)という、指南書あってのことだ。 「爆弾はほとんど黒川くんが作って、その過程を私は見ていた。わりかし簡単にできるって、書いてある通りだった。土に埋めて、導線で電池を繋げて。爆破はうまくいった」 「さそり」という命名は、黒川さんによるが、実は宇賀神さんも考えていた。 「2人で、『部隊名、どうしよう』ってなったとき、最初に私が、『黒い炎』って言ったら、即、却下。黒川くんの頭の中には、すでに『さそり』があった。大変な境遇でも、大きな敵を撃っていくイメージ。『黒い炎』は、怨念。戦前、強制連行された中国人や朝鮮人の思い」 日本人としてアジアへの加害者性に立つ視点は、東アジア反日武装戦線の根幹を成すものだ。「連続企業爆破事件」は戦前に、強制連行した中国人や朝鮮人への虐待行為の責任を問い、現在も続くアジアへの経済侵略を糺すために行なわれたものだ。決して、私たち日本人は無辜な被害者ではないのだと。それは、3部隊共通の思いだ。そのうえで、「さそり」の独自性とは何なのか。 「さそりの目的は、建設会社に寄せ場労働者への収奪・酷使を具体的に『やめさせる』こと。当時、考えたのは『効果的である』ということ」 爆弾闘争を開始するにあたり、「もう1人、仲間が欲しい」と黒川さんから打診があり、浮上したのが桐島さんだった。 「桐島は学内で政治的な運動をやっていて、黒川くんとも空手サークルで関係がある。何より、桐島は真面目に考える人。問題に対して、逃げることはしない人間だから」 桐島さんが承諾したことで、「さそり」は3人になった。初陣は12月23日、鹿島建設の資材置き場をターゲットとし、戦前の中国人強制連行への弾劾を込め、「花岡作戦」と名付けた。戦時下、鹿島建設の花岡鉱山に強制連行されていた中国人が過酷な虐待に対し、一斉蜂起。鎮圧後、その多くが殺されることとなったのが「花岡事件」だ。 (注1)「はらはらとけい」。1974年3月、東アジア反日武装戦線「狼」により、地下出版。自らの思想、爆弾製造方法や都市ゲリラ戦法などを記したもの。
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