「桐島は私が来ると思ってずっと湘南で待ってたんじゃないかな…」元メンバー・宇賀神寿一が明かす「さそり」結成と東アジア反日武装戦線合流、桐島聡への想い
三菱重工爆破事件と「狼」の誤算
年末年始は行政による労働者の収容施設に潜入し、現闘委と合流し、待遇改善を求める収容所闘争の事前工作を行なうなど、自分なりに納得して山谷での活動を行なっていた。 1974年春、大学で空手サークルを開くことになり、指導員として黒川さんが大学にやってきた。映画研究会やクラス闘争委員会で活動している桐島聡さんに声をかけると快諾し、空手サークルのメンバーとなった。ここで、2人の前に桐島さんが初めて登場した。 「桐島は法学部の4年生、私は社会学部の5年生、留年して。どういう映画が好きかは、彼とは話したことはない。映画といえば、当時は名前を知らなかったけど、狼のメンバー、多分、大道寺くんあたりから、『戒厳令』というフランス映画があって、都市ゲリラ“ツパマロス”がゲリラ戦の参考になるから観ろということを、黒川くんから伝えられて1人で、川崎で観たのは覚えている」(宇賀神さん) ここで、東アジア反日武装戦線を立ち上げた「狼」の中心メンバー、大道寺将司さんの名が出てきたが、いつの時点からか、黒川さんは極秘に「狼」と接触を始めた。 「1974年の4月か5月頃、狼とはわかっていなかったと思うけど、黒川くんから武装闘争を志向しているグループとやりとりをしているという話を、この時期に聞いた」 なぜ黒川さんは現場闘争の後方支援から、武装闘争を志向するようになったのか、道中さんがこの時期の情勢を教えてくれた。 「1974年は寄せ場の運動は弾圧に次ぐ弾圧で、船本が『あいりんセンター爆破容疑』で指名手配になり、逮捕者が相次ぎ、闘いが警察に潰されてしまう状況だった。それで違うところからと、黒川くんが考えたのか……」 閉塞状況下、黒川さんと2人で話し合うことになり、宇賀神さんは釜ヶ崎で目撃した、私服警官の「リンチ」が暴動を押し込めた経緯を伝えた。やはり、寄せ場労働者の闘いを守るためには、武装闘争が必要なのだ。この日、2人はこのように合意した。 「敵に打撃を与えつつ、味方はやられない、そのようなスタイルの闘いを準備していこう」 8月30日、三菱重工爆破事件はあまりにも突然のことだった。死傷者の多さ、目を覆う惨劇に言葉もなかった。 「自分も黒川くんも、かなりショックだった。起きたことの凄まじさに、狼たちがひどく意気消沈し、力も萎え、狼狽している状態が、連絡員の黒川くんの伝聞報告からビンビンに伝わってきた。自分たちの犯した誤りに打ち震える狼たちが、あたかもそばにいるようだった」(宇賀神さん)
【関連記事】
- 【前編を読む】〈桐島聡と逃走した男・独占インタビュー〉東アジア反日武装戦線「さそり」元メンバー・宇賀神寿一が語る「闘争の原点」と「さそり結成まで」
- 「“おぬし”に何がわかるんだ!」酔うと酒場で激昂…写真を撮られるのを極端に嫌っていた“自称・桐島聡”が15年前「結婚したい」と語っていた年下女性との恋
- なぜ公安は桐島聡を49年間、見つけられなかったのか? 盗聴、監視、尾行…ダークヒーロー公安警察の”実態“
- 「“うーやん”と呼ばれ客にも慕われていた」自称・桐島聡は行きつけのバーのBBQ大会にも参加、ブルースやサンバを愛しライブイベントでは踊っていた
- 「イェ~イ、イェイ」とDJバーを盛り上げ、ギターも弾いていた…でも「自分は幸せにできるタイプじゃないから」と女性との交際は拒否、過去に神奈川県警と接触も?〈自称・桐島聡〉