杉内俊哉の『18』で途絶えた巨人のエース列伝。歴史を知らない者に球団運営を任せるな!【堀内恒夫の悪太郎の遺言状】
杉内が「18番を欲しい」と言い要求を清武英利代表が認めた
FA移籍してきた杉内に背番号「18」を与えたことで、巨人の「エースの系譜」は途絶えてしまったのではないか
今年もキャンプの季節が到来した。久々に見る12球団各チームの選手たちのユニフォーム姿は、やはり新鮮なインパクトを与えてくれる。ユニフォームの背中に表記された背番号が躍動する姿は、球春到来を告げるにふさわしい華やかなイメージがある。 そんなシーンを眺めながら、いつもこの時期になると、俺は背番号にまつわる物語を紡いでみたくなる。 巨人は、いつの間にかエースナンバー「18」の継承に大きな溝ができてしまった。その溝がいまだに埋まっていないからね。 2012年にソフトバンクから巨人へFA移籍したサウスポーの杉内俊哉が、背番号18番を着けた。そのときに俺は大きな違和感を覚えたことを思い出すよ。 杉内が球界を代表するピッチャーであったことは言うまでもない。その証拠に巨人へ移籍してからも、3年連続2ケタ勝利をマークしているからね。 しかし、「巨人のエースナンバー18にふさわしかったか」と問いただせば、その答えは「ノー」である。巨人のエースナンバーで、最初に名前が挙がるのは、入団2年目の1958年から18番を着けた藤田元司さんだよ。そして、堀内恒夫、桑田真澄と続いてきたエースナンバーだからね。右の本格派エースが18番を着けることが巨人の伝統だった。 ところが、そこに杉内が割り込んできた。だから、藤田さんから続いていた「巨人のエース列伝」に終止符が打たれてしまった。 実は、杉内が巨人へ移籍する直前に、俺のところへ当時球団代表を務めていた清武英利さんから電話がかかってきてね。 「杉内に背番号18を着けさせたいんですが……」と言うから、「どうぞ、お気兼ねなく譲ってやってください」と言ってやった。 しかし、本音は・・・
本文:2,692文字
購入後に全文お読みいただけます。
すでに購入済みの方はログインしてください。
週刊ベースボール