『虎に翼』岡田将生さん演じる航一が隠してきた<秘密>。そのモデル・三淵乾太郎らは「ソ連参戦で敗戦」とまで予測するも開戦を止められず…そのまさかの理由とは
世界に衝撃を与えた真珠湾攻撃。それは日本が敗北への道を歩み始めた決定的瞬間でもありました。しかし、その攻撃が行われた昭和16(1941)年12月8日からさかのぼること約半年、若きエリートを集めた「総力戦研究所」で行われたシミュレーションで「日本はアメリカに負ける」と予言されていたのです。そしてその中には『虎に翼』で岡田将生さん演じる星航一のモデル・三淵乾太郎も――。『昭和16年夏の敗戦』(著:猪瀬直樹)をもとにその背景と経緯を紹介します。(全2回記事の後編) 『虎に翼』次週予告。「今も優三さんを愛している」。航一を前に心が揺れ動く寅子。そして女学生・美佐江は「どうして、人を殺しちゃいけないのか」とつぶやき… * * * * * * * ◆エリート集団「総力戦研究所」の出した結論 否応無しに総力戦に臨みつつあった日本には、早急に状況に対応しうる人材を育成する必要があり、急遽「総力戦研究所」が開設された。 研究生として集められたのは36名の「官民各層から抜擢された有為なる青年」。その所属は、大蔵省、商工省といった省庁のエリート官僚、陸軍省の大尉、海軍省の少佐、そして日本製鐵、日本郵船、日銀の職員、同盟通信のジャーナリストなど。 *編集部注:その中に、東京地方裁判所などを歴任していた初代最高裁長官三淵忠彦の長男・乾太郎も含まれた。 条件として挙げられたのは、「人格高潔、智能優秀、身体強健にして将来各方面の首脳者たるべき素質を有するもの」、そして年齢については「なるべく年令35歳位迄のもの」。 その彼らが、データと知力の限りを尽くし、2ヵ月の激論を経てたどり着いたのは、「緒戦、奇襲攻撃によって勝利するが、長期戦には耐えられず、ソ連参戦によって敗戦を迎える」という苦い結論だった。 現実をぴたりと言い当てたこのシミュレーションは、8月の末、当時の近衛内閣閣僚に直接報告された。そのなかにはもちろん、当時の陸軍大臣、のちに総理大臣を任命される東條英機もいたのだがーー
◆なぜ開戦に踏み切ったのか ではなぜ、その4ヵ月後の12月、開戦に踏み切ったのか。 10月に組閣された東條英機内閣では当初、開戦をめぐる議論はまったくの平行線をたどっていた。最終的な争点はやはり石油の確保に集約されていく。そして11月初頭に提出されたあるデータによって、最終的な決着がついてしまうのだ。 そのデータとは、開戦後の石油保有量を予測した数字だった。要は、「開戦しても石油が確保できる」という根拠である。 この数字を提出したのは、当時の企画院総裁・鈴木貞一氏。 企画院とは、各省庁や陸海軍の間を調整し、総合的に国策を検討するために発足した機関であるが、実際は戦争のための物資動員計画本部といった役割を担っていた。
【関連記事】
- 『虎に翼』次週予告。「今も優三さんを愛している」。航一を前に心が揺れ動く寅子。そして女学生・美佐江は「どうして、人を殺しちゃいけないのか」とつぶやき…
- 『虎に翼』岡田将生さん演じる航一モデル・三淵乾太郎が所属<ある機関>総力戦研究所とは?若きエリートたちは「日本必敗」を開戦前に予測したが…
- 『虎に翼』無罪判決に土下座する兄と弟の恨みの眼差し。怯える入倉を前に杉田は現実を…<差別>を巡る重層的展開に視聴者「全く爽快感がない」「偽らざる思いがちゃんと」「入倉の気持ちも分かるとしか」
- 『虎に翼』「僕はきれいごとじゃなく、現実の話をしているんですけどね」咎められても謝らない入倉に視聴者「本人の中でただの事実」「典型的捨て台詞」「差別のある現場の残酷さ」
- 『虎に翼』あのビビりの小橋が身を挺して寅子を守った…わけではなかった?副音声で明かされた<真実>はあれど「やっぱり小橋はいい奴」