戦争伝える「デジタルアーカイブ」の可能性 太平洋戦争開戦78年、体験者減る中での模索
自軍について暴露した日本人捕虜
日本軍の将兵には捕虜になった事態を想定した教育が行われていなかった。日本も批准していた「ハーグ陸戦条約」には捕虜になった者は適切に扱われなければならないと同時に、階級と氏名以外は、明らかにする必要はないと規定され、多くの交戦国はこれを準用していたのである。日本軍は捕虜になること強く戒めていたがゆえに、万が一捕虜になったときの対処法を身につけさせなかった。そこで、捕虜になった将兵は連合軍の収容所での思わぬ厚遇に応えるかのように、自軍の事情を暴露した者が少なくなかったのだ。 米陸軍の情報部で捕虜の尋問や遺留品などから日本軍についての分析にあたっていた日系二世のウォーレン・ツネイシさんは、日本軍の兵士が捕虜になった際に、どう振る舞うべきか教育を受けていなかったことを指摘する。
こうして、連合軍は日本人捕虜から数多くの有用な情報を得て行ったのである。 日米両側の証言を閲覧でき、多角的に戦争を知ることができることは、デジタルアーカイブならではの良さだ。
過酷だった日本軍の捕虜の扱い
ここでは、証言以外のコンテンツを見てみる。戦争証言アーカイブスでは戦前から戦争直後にかけて、映画館で上映されていたニュース映画「日本ニュース」 を公開している。特に、初回の1940年から戦中の「日本ニュース」は戦意高揚と国家総動員のプロパガンダのために作られたものである。しかし、映し出されている映像は当時加工のしようもなく、実際に起きていることである。 開戦直後、日本が海上部隊と艦載機を動員して上陸作戦を敢行した太平洋のウェーク島からの捕虜移送のニュースである。2000人弱の米軍の守備部隊は砲台を使って日本海軍の駆逐艦2隻を撃沈するなど激しく抵抗し、順調に作戦を進めていた日本軍にとっては最大の苦戦となった。このニュースでは守備隊長のカニンガム中佐の笑顔とインタビューで構成。日本軍の攻撃の激しさと日本国民に感謝するという言葉を紹介している。