なぜ「仕事ができる人」は古典を読むのか…「平凡な私大」を「一流大学」に変えた"古典"の知られざる威力
■理由②古典的な文体で読みづらい 私が『刀と犬歯』という短編小説を書いていたときのことです。 青銅器時代が背景なのですが、古い言い回しや昔の言葉を使いこなせず、時代の雰囲気が出ていませんでした。昔の言葉を知ろうと、韓国語の宝庫である『土地』〈朴景利(パクキョンニ)による大河小説。韓国でテレビドラマにもなった。現在クオンから翻訳版最新刊『土地十六巻』が出ている〉を読みました。 朴景利作家には申し訳ないけれど第1部のみ読みました。文体がとてもやわらかく、話の流れがゆっくりで、私には合わなかったのです。 方向転換して、朝鮮時代の行商人の生き様を描いた金周榮(キムジュヨン)の『客主』〈『客主』はドラマ化もされた韓国で有名な歴史小説〉を読みました。文体に力があり、ストーリーの展開が早くておもしろく読めました。 ■読みづらい文体に注意 現代の文体は、叙述や描写を省き、展開がスピーディーです。 しかし、昔の本は叙述や描写が多く、ストーリーの展開がゆっくりです。そこに加えて、文章が冗漫(じょうまん)です。書かれた当時はこのような文章や展開が正解だったのです。100年前の作家たちはライバルも少なく、読者も多くなく、文体にもそこまで注意を払っていませんでした。 現代の文体に慣れ親しんだ読者が昔の文体で書かれた文章を読もうとしたとき、はたしてスムーズに読めるでしょうか? 読めないあなたがダメなのではなく、古典が読み慣れない文章で書かれているのです。 無理に読んだところで、副作用として、自分でも気づかぬうちに冗漫な文章を書いてしまいます。古典は文体が違うということを理解しておかなければなりません。 読みづらいときは文体に注意してみてください。読めなかったとしても、「文体がむずかしいのだ」と考え、自分を責めずに早めに本を閉じましょう。あなたのせいではありません。 ひとつ目の理由と同じです。 読めないものはやめましょう。読みやすい古典を探して読みましょう。 説明の通り、『一九八四年』や『老人と海』(小川高義訳、光文社、2014年)を読めば、ジョージ・オーウェルやアーネスト・ヘミングウェイがなぜ大作家とうたわれているのかがわかるでしょう。今の小説と比較しても、読みづらさをまったく感じないのです。