東名女児2人死亡事故から25年 両親が見た命日の「危険運転」判決 「娘が空から見守っている」
危険運転致死傷罪の誕生も11月28日だった
検察側の求刑が懲役12年だったのに対し、判決が懲役8年となったことについて遺族の長さんは会見で複雑な思いを口にした。 「私にとって良い判決と思うのか、そうでないのかが悩ましい、そういった量刑な気がします」 長さんを支え続けてきた郁美さんも、その心境をおもんばかった。 「裁判長が懲役8年と言い渡したときに、『ああ、長さん、多分今、頭が真っ白になっただろうな』とすごく思いました。私たちの第一審判決は2000年6月だったんですが、そのときの求刑が懲役5年で、私はのんきに(判決も)5年って言い渡されると思っていたところ、まさかの懲役4年で、裁判官の言葉がそのあと入ってこなかった」 当時、自動車の事故はどんなに悪質なものでも業務上過失致死傷罪が適用され、その最高刑は懲役5年だった。 だが、井上さん夫妻の2人の娘を、飲酒運転による追突事故で死亡させたトラック運転手に下された判決は、懲役4年だったのである。
「70年80年と生きられたであろう命の重さに比べて懲役4年というのはあまりに軽いんじゃないか」 一審判決直後の記者会見で大粒の涙を流した郁美さん。 そこから、悪質運転への厳罰化を求める井上さん夫妻の活動が始まった。 そして2001年。 事故が起きたのと同じ11月28日に、危険運転致死傷罪を盛り込んだ改正刑法が国会で成立したのだった。 あの日の一審判決以来、井上さん夫妻が思っていたこと。 「裁判所が使っている物差しと、一般市民が持っている物差しとがあまりにも違うんじゃないかと。法律というものは一般市民の物差しに近づいてきてほしいとずーっと願い続けてきました。なので今回の大分の判決も、一般市民の物差しと裁判所が持っている物差しが近づいてきているのか、離れちゃっているのかということを測る試金石になるかなと思っています」(郁美さん) そして、答えは出された。
「運命的な」11月28日の判決
大分地裁は、一般道を時速194キロという速度で走行したことは、「ハンドルやブレーキのわずかなミスによって自車を進路から逸脱させて事故を発生させる実質的危険性」があり、「制御困難な高速度での運転」に該当すると認めた。 保孝さんは、懲役8年という量刑について、「人の命の重みをもう少し反映してほしかった」としつつ… 「常軌を逸した高速度で走って事故を起こした加害者に対して、過失ではないというのが裁判でもはっきり示された、やっと認めるようになったんだと思いました」 娘2人の命日、そして危険運転致死傷罪が誕生したのと同じ日に認められた「制御困難な高速度」。 判決の期日が11月28日に決まった時、「偶然以上のものがあると思って身震いした」という保孝さんは、公判後の記者会見でも「運命的だ」と繰り返したうえで、少し微笑みながら、こう話した。 「空で私たちの娘たちがずっとこの法律の行方を見守ってくれているのかな…と。根拠のない話ですが、私たちはそのように思っています」