G-FREAK-FACTORY 茂木洋晃が語る、乱世におけるロックの役割
「人のためにやることは、自分のためを兼ねているし、自分のためにやることは、おそらく人のためも兼ねている」
―アルバム5曲目の「WHO UNCONTROL」という曲に今言っていた気持ちが早くも投影されていますよね。コロナ禍の4年間に思考停止している間に別のフェイズ、別の世界に引きずり込まれた感じ……。それはわたしも感じます。 感じますよね。これはなんなんだろう?って。そのすごいスピードで世界が変化していく中で、幸せとか、リッチってなんだろう?みたいなところまで考えました。どれだけお金を持っていても貧しい人はたくさんいる。リッチの概念をもう一回考えようと思ったり。俺、コロナ渦中に身体を壊したんですよ。ライブも何本も飛ばしちゃって。コロナにもかかって、それでも飛ばしちゃったんですけど。その身体を壊した時に、リッチってお金じゃねえなって思ったんです。今も身体のために食事制限をしてます。身体のために食事制限をすることは本当に嫌だったんだけど、健康体でないと笑えないじゃないですか。身体の調子がよくないと、ハッピーなことに対して素直にハッピーって思えないんですよ。健康体じゃないとスレるというか、ハッピーなものなんか見たくないってなっちゃうので。それってすごく不幸じゃないですか。 ―そうですよね。 そこで、もう一回、人間って何なんだろう?っていうところにチャレンジしていきたいなっていう気持ちが生まれてきた。それってAIとか、人間より強いものが出てきたからですよね。そこをこれから先、ちょっと書いていくことにチャレンジしたいなって思ってます。人間の限界もわかるし。8時間労働して、8時間睡眠して。でもAIは24時間絶好調に行くわけでしょ。その進歩の先……、要は人間のためにそういうAIとかがあるはずなのに、人間が不要になっていく。次はそういうメッセージを書きたいと思ったんです。だから全部消したんですよ。でもまだ今はその気持ち全部を書ききれないから。コロナ渦中からふわふわしたまま変わっていった自分が今回のアルバムに全部入ってます。それが、だんだん頑固親父みたいに確固たるものになってくんだろうなって思ってます。 ―わたしもコロナ禍を通して、「人間らしく生きるとはどういうことか」って考えました。例えば、イタリアの哲学者・ジョルジュ・アガンベンはコロナ禍での国家による行動規制をめぐり〈むき出しの生〉という言葉で、家族が亡くなっても感染防止のため、死者を弔うこともできないことを厳しく批判しました。 完全に思考停止にさせられましたよね。本来、例えば、ワクチンひとつとっても、打つ打たない。ルールで打つんじゃなくて、自分で選んで、自分で決めて、あとはそれを信じるまでがセットだと俺は思ってます。コロナ禍という巨大なパワーをもつ物語が駆動する中でモラルみたいなものまでもが変わってしまった気がします。ある意味ハラスメントに近かった気さえしましたね。 ―「ある日の夕べ」という曲からは、自分のためだけに生きることについて触れていますが、この曲もコロナ禍のそうした空気感にリンクしているのですか? そうではないですね。古い友人から、「ひとのために生きるんじゃなくて、もう自分のために生きていいから、長く生きてほしい」っていうことを言われたんですよ。すごい言葉だなと思って。でも、結果、そういう風に考える人もいるんだって。人のために費やした時間があまりにも多くて、自分のためにひとつもやってないまま死んじまうのかよ、みたいな風に俺には聞こえたんですよね。けど、人のためにやることは、自分のためを兼ねているし、自分のためにやることは、おそらく人のためも兼ねているので。一回そこで迷路に入ったんすけど、これはちゃんと記しておこうと思って、この曲が生まれました。 ―先ほど、一度、溜めていた言葉を全部捨てたって言ってましたけど、その後紡いだ今回のアルバムの言葉の中で、コロナ禍前にはこの言葉は今まで絶対紡げなかった言葉ってありますか? アルバム1曲目の「YAMA」という曲で書いた、<変わらなければ老いてくだけ 変わり続けたらただブレるだけ>っていう歌詞ですね。俺は世代的にもものすごい狭間にいて、テクノロジーも最初から手に入れていたわけじゃなく、途中から多くのものを手に入れていった世代だと思うんです。そこにアジャストしていけば、それだけで、一生終わっちゃうんだろうなと思って。例えば、こんな新しいものが出てきたんだって知って、それを熟考して、一つ一つ丁寧に覚えていく暇もなく、やっとそれを覚えられた、なんとなくできるようになったと思ったら、もう次の新しいものが出てくる。そうやってテクノロジーの進歩にバイオロジーが負けていく。だけど今の20代の子たちは、最初からテクノロジーと共に生きてるから、強いなって思うんです。俺たちはテレビの世代だけど、もうテレビは敗北したじゃないですか。その変わっていく様に自分が順応していかなきゃいけないのもわかるけど、順応してさらにその上にいかないといけなくて。この世の中は仕掛ける側と受け取る側しかないから。だからバンドをやって発信していくのであれば、自分は気持ちを磨いておきたいなっていうのはすごくあるんですよね。でも、テクノロジーにどんどん翻弄されて、気持ちがわけわからないところにいく時があるんですよ。それはコロナ禍の急速な変化の中で改めて意識させられましたね。 ―わかります。 あとは、「HARVEST」って曲の、〈失くした分だけ手に入れた〉っていうのも、そういうことだと思います。 ―そして、アルバムタイトルは『HAZE』です。これは靄(もや)、かすみ、という意味ですが、コロナ禍が明けて、みんなリスタート的な言葉を使うアルバムやそういうテンションのアルバムが多い中であえて靄か、と。すごく茂木さんらしい気がしました。 だってもう完全に靄じゃないですか。靄の塊です。明けたね! ハッピー! ラッキー!って言えるヤツって羨ましいなと思う(笑)。素直にそう思えているんだったら、すげえリッチだなって思うんですけどね、皮肉なことに(笑)。なんだろう? 釈然としない、ずっと曇ってるというか、靄の中に霧がかってる感じ。アルバムジャケットには、山の頂上を入れてくれって言ったんです。その下に町があって、山の中腹にいるんだけど、頂上はもうピカーンって晴れさせてほしいって言ったら、もう一発ですごいのがでてきたんです。 ―晴れさせてほしい、というのは、そこから抜けたいっていう願いですか? 俺はこんな偏屈な考え方だから、霧の中に一生いるのかもしれないですけど(笑)。今回収録した曲は、コロナ禍に入ったばかりの時に作った曲から、一応明けたとされた時期に着手した曲まで入っているので、ある意味、気持ちの統一感がないんです。でも、全部本当だし、本音。だから、その変わっていく大きな激動の時に出した作品として、その矛盾もOKとしてます。この先も変わると思うし。立ち返って考えたことや、これから先にがむしゃらに生きていく時に考えたことが、今度もずっと混在していくんだと思います。でも、よくわからないアンチテーゼみたいなところから一回解放されたんで、もう一回、人間は今どこに向かって、音楽はどこに向かって、ロックはどこに向かって、自分たちはどこに向かって、ローカルバンドとしてやってきた自分らがどこに向かっているのかっていうのを考え直すいい機会だったなと思います。