フランスの“ドレイモンド・グリーン”ガーション・ヤブセレがシクサーズと1年契約!5年ぶりのNBA復帰へ<DUNKSHOOT>
パリ五輪で銀メダルを獲得したフランス代表の一員として、強烈なインパクトを与えたパワーフォワードのガーション・ヤブセレが8月19日、フィラデルフィア・セブンティシクサーズと1年210万ドルの契約を結んだと『ESPN』のエイドリアン・ウォジナロウスキー記者が報じた。 【動画】セルティックスでプレーしたヤブセレの2018-19シーズン好プレー! 2016年のドラフトでボストン・セルティックスから1巡目16位で指名を受けながら、19年7月に解雇の憂き目に遭っているヤブセレにとっては、念願のNBA復帰だ。 パリ五輪では、平均15.8点をあげたヴィクター・ウェンバンヤマに次ぐチーム2位の14.0点を記録。とりわけ、スターターに抜擢された決勝ラウンドの3試合は、22得点、17得点、20得点とオフェンスを牽引した。また、準決勝のドイツ戦では、第3クォーターの連続得点で流れを引き寄せ、最終的に敗れはしたが、決勝のアメリカ戦でもレブロン・ジェームズの上からダンクを叩き込むビッグプレーを生み出している。 ヤブセレは、「(この瞬間をとらえた写真を)額縁に入れて玄関に飾る。ポスターにして家の前の道にも貼っちゃおうかな。車で通る人にアピールできるようにね(笑)」と冗談まじりにコメントしていた。なお、レブロンからは試合後にファイティングスピリッツを称賛する言葉をかけられたそうだ。 20歳だった16年にドラフトされたヤブセレは、直後のサマーリーグで高評価を得たものの、すぐにセルティックスとは契約せずに、2016-17シーズンは中国リーグの上海シャークスでプレーすることを選んだ。 シャークスにおいて、セルティックスの管理下にある専属のトレーナーをつけてトレーニングできるという条件、そして、5か月間という短いリーグ期間で120万ドルという高額サラリーを受け取れることが選択の決め手だったと、ヤブセレは当時のインタビューで語っている。 ヤブセレは17歳でフランスのトップリーグ所属のロアンヌでプロデビューしているが、サラリーは月額4000ユーロだっただけに、彼にとって魅力的な額だったのは間違いない。 「なんの学位もない自分に、多くの人が10年働いても稼げないくらいの金額を5カ月で稼げるチャンスを与えてもらった。自分としても家族のためにも、断ることはできなかった。母さんに恩返しがしたい思いも強かった」とヤブセレ。 中国のシーズンが終わった17年の春にセルティックス傘下のGリーグチーム、メイン・セルティックスに合流。翌シーズンから2年間はセルティックスでプレーしたが、平均プレータイムは7分ほどで2.3点、1.4リバウンドと目立った成績を残せないまま、19年7月に解雇された。
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