“歌うおじさん”平川美香、芸能界の洗礼に号泣した夜
釣り竿をかついだオッサンキャラ“平川のおじさん”としても知られる歌手、平川美香。1984年、沖縄の出身で、幼少期から音楽に興味を抱き、中学時代には従姉妹の仲宗根泉(現HY)とバンドを結成。高校卒業後、いったん高校教師になるが、仲宗根の音楽に対する実直な姿勢を目の前にして教師を辞め、2012年から本格的に活動を始めた。 自身が初の作詞作曲を手がけた「想い唄」は多くの人々から共感を得て、YouTubeでは1週間で1万回もの再生回数を記録。2月6日には、「ダイナミック琉球」が配信開始される。特徴ある美しい歌声とはかなりのギャップがあるルックスだが、平川のおじさんに話を聞いた。
江の島にも現れたおじさん秘話
インタビュー当日、地方から飛行機で駆けつけてきた平川は、すでにおじさんモード全開。いったい、何がきっかけでおじさんキャラをやるようになったのか。 「もともとプライベートで“おじさん”の格好をして、海に行ったりしていたんですよ」 あっけらかんと笑う。なんと、もともとおじさんのコスプレ(?)が趣味だったというのだ。 「沖縄の人って、海に行くときにビキニとか着ないんですよ。服のまま行くことが多くて。それで、こちらへきて江の島に行くぞってなったときに、『ビキニ着れねえしなぁ~。どんなかっこうで行けばいいかな』って考えた結果、やっぱりおじさんだなって。それが思いのほか盛り上がっちゃって。面白くなっちゃって。いろんなところに遊びに行くたびに“おじさん”で移動することが多くなっていったんです」
身も心もボロボロに 涙とまらなかった夜
それを仕事でも「平川のおじさん」としてCDリリースするようになった背景には、平川の秘められた思いがあるようだ。 「普通に平川美香としてオーディションをたくさん受けたんですけど、『あなたくらいの実力の歌い手はいっぱいいる』なんて言われたりして。それで、一時期ちょっと大きな話があったんです。大手事務所があなたをデビューさせるとスカウトしてくれたんですけど、契約に際して条件があって、HYのいとこってキャッチコピーにしたいと。そこでHY側に話をしたら、『平川美香だけでのし上がって行かないと、この世界は厳しいよ。HYの名前を使わずに実力で頑張って』という形で背中を押してくれたんですよ」 結局、HY側の許可は取れなかったと大手事務所に返事をしたところ、状況は一変した。 「自分ひとりで頑張っていきますのでよろしくお願いします、って言ったら、手のひらを返すように、『じゃ、この話はなかったことに』と。身も心もボロボロですよ。渋谷駅の改札の近くで、夜中の11時に、声を押し殺して泣きました。もう涙が止まらないんです」