鹿児島県 亡き息子思い生きる 前﨑チヅエさん 働き詰めの100年 写真飾り元気取り戻す
奄美市名瀬知名瀬の養護老人ホーム「なぎさ園」(渡寛之施設長、入所者60人)の前﨑チヅエさんが8日、100歳の誕生日を迎えた。談話スペースで祝い式があり、親戚や入所者ら約40人から温かい拍手を浴びた。安田壮平奄美市長から祝い状と祝い金が贈られると、「ありがとう」と頭を下げ、談笑していた。 前﨑さんは1924(大正13)年、同市西仲勝に生まれた。体の弱いきょうだいたちを気遣い母親代わりになって面倒をみたという。 結婚し男児に恵まれたが、子育ては1人ですることになった。幼い子どもを両親に預け、沖縄県久米島の旅館に勤めた。小学校入学を機に古里に戻り、大島紬の機織りに従事した。 子どもが独り立ちした後も働き詰めだったという。70代から約10年間は、奄美市内にあるホテルの厨房で下働きの日を送った。 親戚の伊東ミエ子さん(74)は「母のように思っていた。趣味や娯楽などをしているところを見たことがない。じっとしていることはなく常に働いていた」と振り返った。 3年前、宮崎に住む一人息子をすい臓がんで亡くした。「お母さんは、奄美大島で元気に生きてください」が最期の言葉。前﨑さんは泣き崩れたという。 生きる支えをなくし落ち込んだ時期もあったが、息子の写真を飾り元気を取り戻した。祝いの報を聞くと「もらうものはなんでももらう」と、気丈夫だった若い頃のように笑って答えたという。 「ここにきてやがて1年。何もせず食べて寝て過ごしている。つらい時もあったが、息子と行った沖縄の水族館のことを思い出しながら生きていきます」。前﨑さんは、はっきりした口調でこう話した。 奄美市では今年度、23人が100歳の誕生日を迎える。