ガダルカナル島上空で戦死した「零戦隊指揮官」が残した「1枚の写真の謎」
ある1枚の写真
長年、戦争体験者やご遺族の取材をしていると、当時の貴重な資料や写真に出会うことがしばしばある。ただ写真は、説明もなくバラバラに箱に入ったままの状態で数十年放置されていることが少なくない。本人が戦死したりすでに亡くなっている場合、写真について聞くこともできないから、自分で解き明かすしかない。 【写真】敵艦に突入する零戦を捉えた超貴重な1枚…! どこで何を(誰を)写したものか、説明のない写真は、写っている人物の顔立ち、服装、階級章、建物、地形、飛行機などをもとに、ほかの写真や防衛省防衛研究所の所蔵資料などを総動員して撮影時期と場所を特定してゆくのだが、かなり手間のかかる作業になるので、判別の手がかりがないまま年月が過ぎてしまうものも多い。 たとえば、この写真。 昭和18(1943)年6月16日、ガダルカナル島上空で戦死した零戦隊指揮官・宮野善治郎海軍大尉(戦死後、二階級進級で中佐)の、大阪府八尾市の生家に残っていた本人の勉強机の引き出しから、ご遺族の了解を得て私が20年前に回収したうちの1枚だが、これを見て何の写真かが一目でわかる人はほとんどいないだろう。 元のプリントは、引伸ばしプリントではなく、戦前、戦中に一般的だった6センチ×4.5センチのフィルムの小さな密着焼き(引伸機で拡大せず、ネガを印画紙に直接密着させて感光させる。ネガとプリントは同じサイズになる)だが、ルーペで拡大して見ると海軍の制服を着ている人物が3人いるから、海軍での写真であることはわかる。だが、それ以外の約30名は、顔に白粉を塗った人、付け髭をつけているとおぼしき人、謎の覆面レスラーのような人もいて、気になりつつも、これがどんな場面を写した写真かわからないまま、長い年月が経った。 私は、2006年、光人社(現在・潮書房光人新社)から、写真の持ち主だった宮野善治郎の長編伝記『零戦隊長~宮野善治郎の生涯』(現在は光人社NF文庫)を著したのだが、そのときも、この写真の謎は解けていなかった。