「ガチャ化する社会」でZ世代が持つべき考え方 上司、配属、ガチャの当たりはどこにある?
安っぽくてバカらしいと言わず、ガチャ概念について真面目に考察してみよう。ガチャが成立する要件はいくつかある。まず、確率が固定されていて、介入ができないという前提。努力しても確率が変わらないのである。まあたしかに生まれる両親は選べないのだから、親ガチャと言うのもわかる。 次に、決定論的発想である。「ガチャ外れたけど楽しいよ」とか、「ガチャ当たったけど気を引き締めないと」というセリフは、あまり聞かない。ガチャに当たれば幸福で、ガチャに外れれば不幸が決定している、という前提が共有されているようだ。
この点でも、どうやら努力の意味がないらしい。努力の有無にかかわらず、当たりハズレで幸福が決定するのだから。つまりガチャとは、反努力的思想に基づく概念なのだ。 なお、「逆因果」が生じうることには注意が必要である。外れたから不幸になるのでなく、不幸な気持ちになったから外れたと感じる人がいるはずだ、ということだ。この「因果の取り違え」は学術界でもよく起きることなので、判断には慎重を要する。 ■何回でも引けるガチャ
さて、努力は無意味だし、ガチャで全て決められてしまう。こんなガチャを当てる方法ってあるのだろうか。単純明快かつ唯一の方法は、試行回数を稼ぐことである。確率が固定されていて介入できないにしても、何度も引けば当たるかもしれない。何回も引けるガチャなら、時間とお金が許す限り引き続ければ、いつか当たるだろう。 ただ当然ながら、親も上司も配属も何度も引けるガチャではないので、そこは困った点である。しかし、半永久的に引けるガチャがあることも紹介しておこう。ずばり「婚活ガチャ」である。
『婚活戦略』(高橋勅徳著、中央経済社)には、次のようなエピソードが出てくる。舞台はいわゆる婚活パーティー。10~20人くらいの男女で集まって、1人5分で自己紹介。意中の人を指名してマッチング、カップルが成立すれば個別で連絡先交換、みたいなシステムだ。 実際に婚活をしていた著者の高橋先生は、悲しいことにまったくモテない。パーティーの後半はモテない同性で集まって話すという過酷な環境を強いられる。そのような苛烈な状況で、さすが研究者の高橋先生は、ある事実を発見する。女性側の指名がトップ男性に集中しているというのだ。