はるな愛「赤いランドセルが良かった、12歳の女の子の気持ちは今も胸に。子どもたちに食事や服を提供、希望をもって生きて欲しい」
◆衣装からもらう力って大きい 海外に行ったときは、ショーを見ることが私にとってマストなのですが、もう一つ必ず行くのは生地屋さん。私はショーの時のドレスを大抵自分でデザインしていています。その時、自分で手に入れた生地を使うことが多いんです。ブロードウェイの衣装として使われることが多いマンハッタンの生地屋さんには、日本では手に入らないド派手でカワイイ生地がたくさん! 今回の新曲「まぼろしザ・ワールド」に登場するピンクのスパンコールのスーツも、私がデザインして、ニューヨークでゲットしてきた布地を使って、作っていただいた物です。 着る物って、自分にパワーをくれるものだと私は思っています。子どもの時は親から与えられた洋服を身につけていますよね。年齢を重ねるにつれて、自分で選んでいかなくてはいけないし、そして社会からどう見られるかとか、たくさんの制約がかかっていく。でも「自分が着たいものを着る」と元気が出るし、みんながそう思える社会の方がいい。私はいつからか殻を破ってきました。誰かが着ているものを羨ましいな、と思うことのない人生がいいと思います。 私は小さい頃、「大西賢示(*戸籍上の名前)」という男の子として振る舞わなくちゃいけないと思っていて、女の子の格好ができないことが本当に辛かった。黒いランドセルより赤いランドセルが良かったし、ポニーテールをしたりやヒラヒラのスカートを履いたりしたかった。今でも、私の中では12歳の女の子の気持ちがチラつくんです。その頃にしたかったことを、思う存分やり遂げたい。私はテレビを見て、可愛いアイドルやお笑いの世界の人たちにすごく慰められたし、憧れて勇気をもらったんです。
◆両親からもらったものは大きいです 母は、私が男の子ではなく女の子になりたいという気持ちがあることを学生時代はどうしても認めてくれなかった。私も家族と暮らしている時、「自分は男の子なんだ」っていう現実を突きつけられるように感じ、それが嫌で家族の元を一時は離れていました。 でも、しばらくして見た目もすっかり女の子の“はるな愛”になってから母の元を訪れた時は、母も覚悟ができたのか、ありのままの私を認めてくれるようになったんです。そこからまた仲良し親子に戻ることができました。今でも母とは毎日のように電話をしています。素敵な舞台を見たら母にも見てもらいたいので、奈良から東京に招いたり、大阪で合流して食事をしたり。なんでも話すことのできる母は本当に大切な存在です。 私はもともと歌が好きだった父の影響で演歌を歌うようになりました。父は私のことを村田英雄さんみたいな歌手にしたかったそうです。歌手にはなれましたけど、方向性はだいぶ違いました(笑)。でも私の声質は演歌が合ってるので、外国のライブでもたくさん日本の演歌を歌わせてもらっています。それは父が与えてくれた私の財産ですね。