『記憶にございません!』は2024年の今こそピッタリ? “初めから古い”三谷幸喜の普遍性
三谷幸喜が監督を務めた映画『スオミの話をしよう』の公開を記念して、映画『記憶にございません!』がフジテレビ系で9月14日の21時からテレビ放送される。 【写真】『記憶にございません!』のオーディオコメンタリーを収録した際の三谷幸喜と中井貴一 本作は、2019年に三谷が監督したコメディ映画で、聴衆が投げた石が頭に命中したことで記憶喪失になった内閣総理大臣・黒田啓介(中井貴一)が、これまでの振る舞いを反省し、良き総理、良き父親になろうと奮闘する姿が描かれる。 観ていて感心するのが導入部の上手さ。記憶喪失となった黒田が病院を抜け出し、街を彷徨う中で、総理大臣として自分がおこなってきた政治の悪評を知っていく過程が実に生々しい。自業自得とはいえ、他者からの憎悪が容赦無く降り注ぐ黒田を観ているといたたまれない気持ちになる。 その後、事務秘書官の番馬のぞみ(小池栄子)に補佐されて、黒田は様々な人物と面会する。それが「もしも自分が総理大臣になったら?」という総理の日常を追体験するものとなっている。 そこで日本を取り巻く政治問題が一つ一つ明かされ、生まれ変わった黒田が対応していくという流れが実に綺麗で、そこはさすが三谷幸喜だと感じる。 近年は2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の脚本が大絶賛された三谷だが、長尺の大河ドラマの脚本を書いても、2時間の映画を監督しても話のまとまりが良く、表現媒体に適した物語を紡ぐことができる稀有な作家だ。 近年は可能な限り情報を詰め込もうとするあまり、構成が歪になっている映画やドラマが増えていて頭を抱えるのだが、三谷作品にその歪さを感じることはほとんどなく、各ジャンルに適した物語のサイズ感と緩急のある構成の心地よさを常に感じる。 『記憶にございません!』でもそれは同様で、導入から結末まで淀みなくストーリーが進み、綺麗に幕を閉じる。この職人的上手さが、若い時は苦手で古臭く感じたが、現在はむしろ安心感を抱くようになっており、年を重ねれば重ねるほど、三谷作品の良さがわかってきたように感じる。 この安心感は作中の人物描写にも現れている。金持ちのエリートを書いても貧乏人を書いても、三谷作品の登場人物は、田舎の親戚やご近所の町内会に集まる知り合いを見ているような親しみやすさがある。本作も総理の黒田を筆頭に、個人個人の欲望と身近な人間関係に翻弄されるいじましい人間ばかりが登場する。 『鎌倉殿の13人』を筆頭とする大河ドラマの場合は、親戚のおじさんのような小物感ゆえに愛おしく感じた武士たちが、次の瞬間には殺し合いをしているという物語の落差が作品の奥行きに繋がっていたのだが、『記憶にございません!』では、悪の権化として描かれることの多い政治家も一皮向けば私たちと同じちっぽけでいじましい人間なんだということがコメディを通して描かれている。 同時にそんなちっぽけな人間が見せる一欠片の勇気こそが世の中を少しずつ良くしていくのだということが前向きな形で描かれており、だから本作の後味はとてもいい。 おそらくそれは、劇中で黒田が学び直す、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を3原則とする日本国憲法を軸とした、戦後民主主義の理想を絵解きしたものなのだろう。