2児の母・青木裕子「子どもの”やりたい!”を支えるのは親の計画性?」FRaUこどもコンテストを見て考えたこと
FRaUこどもコンテストを見て思うこと
そんなことを思いながら、今年もこの季節がやってきた。毎年恒例『FRaU SDGs edu こどもプレゼン・コンテスト2024』だ。審査員を仰せつかって3年目になる。 毎年、素晴らしい作品に心動かされ感心すると同時に、児童や生徒にとって縁の下の力持ちに違いない大人たちに思いを馳せる。特に小学生の作品については多かれ少なかれ保護者の協力が必須だったに違いない。 この連載に何度も書いているけれど、サポート具合って正解がわからない。子どもの自主性に任せると言っても、0から完成までを小学生、特に低学年の子どもがすべてやり通すのは難しい。かといって、口を出しすぎて“やらされている感”が出るのもなんか違う。だから、いい塩梅を見つけて、アドバイスしたり、おしりを叩いたり、まずプレゼン・コンテストのような企画を見つけてきて興味を持たせたり。 しかも、『こどもプレゼン・コンテスト』の応募作品は作り上げるのに手間も時間もかかっている。何度も実験を繰り返しているもの、企画提案から実施までミーティングを重ねているもの、細部までこだわって工作しているものなどなど。これらは、計画的かつじっくりと向き合える大人がいなければ成立しないんじゃないかと思うのだ。
飽きる子どもたちとのバトル
我が家に目を転じてみよう。長男が小学校に入学したばかりのころのこと。当時の彼はいろんなことに興味があって、「こんなことをやってみたい! 」という気持ちにあふれていた。また、現在3年生の次男は〇〇作りと名の付く大抵のことに前向きで、完成形のイメージに心躍らせる。そして、やり始めは他のことに目もくれず集中して取り組むのだ。 ……が、飽きる。一度休憩をはさむと、飽きる。ちょっと思うようにいかないと、飽きる。そこから、私と子どもたちとのバトル開始である。 私の主張は「自分でやるといったんだから最後までやりなよ」。子どもたちは「やるよ。やるやる」それを受けて私「いや、明らかに雑になってるじゃん。そんなんじゃ、やっても意味ないよ! 」やらせたいのか、やらせたくないのか、もはや私の主張もぶれてくる。だってその実、私だって飽きているのだ。 さらに、「そこは箇条書きにするといいんじゃない? 」と、いい塩梅のアドバイスをしたはずが、だんだん飽きてきた彼らは「じゃあ、次は何を書けばいい? 」なんて聞くようになる。 「ねえ、お母さんが言ったことをそのまま書くんだったら、それはお母さんの作品だよ? お母さんの名前で出すよ? 」こうなるともう塩梅も何もあったもんじゃない。虫の居所が悪いと、この後「だいたいあなたはいつも……」と続けてしまうから、私って駄目な母親だ。