映画タイトルになった「尼ロック」 建設契機は海抜0メートル地帯を襲ったジェーン台風の悲劇 アマ物語
「尼ロック」とは尼崎ロックンロールのことではない。正式名称は「尼崎閘門(こうもん)」。英語読みでロックゲート、だから「尼ロック」。ことし4月に公開された映画『あまろっく』で多少認知度は上がったものの、まだ知らない人の方が多い。昭和30年、日本で初のパナマ運河方式の閘門として建設された。でもなぜ、こんな閘門が尼崎に必要だったのだろう。それを知るには、74年前の〝あの日〟の尼崎に戻らなくてはならない。 【写真】『あまろっく』のロケ地を紹介する尼崎市作成のパンフレット ■大雨のたび浸水 昭和25年9月3日、四国、近畿地方を巨大台風28号が襲った。「ジェーン台風」である。猛烈な雨と風。尼崎の海岸線には3・6メートルの高潮が押し寄せた。尼崎市の南半分が浸水。死者22人、28万人の市民のうち24万人が被災するという大災害となった。 胸まで水に漬かり、泳いで市役所にたどり着いて陣頭指揮に当たった当時の市長、六島誠之助は「天災にあらず。人災なり!」と叫んだという。南部地域の工業化によって街は発展したものの、工場の地下水のくみ上げで地盤が沈下。市内の3分の1が海面より低い「ゼロメートル地帯」となった。大雨が降ると川は氾濫し、尼崎の町はそのたびに浸水した。 六島は「もう中途半端な対策では無意味である」と訴えた。そして海岸線を含めて尼崎の南全部をすっぽり覆ってしまうような巨大防潮堤でなければ、水害は防げない―という結論に達した。 とんでもない構想である。見積もりでは工費約20億円。赤字財政が続いていた尼崎市にそんなお金はなかった。六島は国や県に額を地面にこすりつけるようにして陳情した。結果、国が4割、県と市が3割ずつ負担することで決まった。その交渉を陰で支えたのが尼崎信用金庫の第4代理事長になった創業者・松尾高一である。 26年に着工。30年に幅5~9メートル、全長12・4キロの巨大防潮堤が完成した。以後、尼崎市には高潮による大きな被害はほとんどない。その防潮堤の真ん中に位置し、治水、防潮、そして水位の違う「海」と「運河」の安全な船舶運航の3つの役割を担っているのが「尼ロック」。映画『あまろっく』のお父ちゃんのように家族の安全を守る頼もしい存在なのである。 ■いつでも通過可