ドバイでオーダースーツは売れるのか、サウジアラビアに日本製品を売り込むには 銀座の高級スーツ企業の挑戦
熟練した職人によるフルオーダーのスーツを商う「株式会社銀座テーラーグループ」。4代目社長の小倉祥子氏(46)は、カリスマ的な存在の3代目代表である母とともに、さまざまな事業にチャレンジしてきた。ドバイやサウジアラビアへの販路開拓、そして社長を 継いだ直後に襲った新型コロナウイルス禍をどう乗り越えたか、小倉氏に聞いた。 【動画】専門家に聞く「事業承継はチャンスだ。」
◆職人の精巧な技を目の前で見せられて
――アメリカ留学中に銀座テーラー入社への意思が固まり、入社後はどのような仕事をしたのですか? 銀座テーラーでアルバイトをした後、2007年にマーケティングを学ぶため留学していたアメリカから帰国し、2008年、29歳で銀座テーラーに正式に入社しました。現場を知ることから始めようと、まずは販売を担当しました。 現在の店舗はツーフロアですが、当時はワンフロアのみ。 1~1年半くらい売り場に立ちました。 アルバイト時代はレディースの既製服を売っていましたが、正社員になってからはメンズのオーダー品のみを担当しました。 その後、3ヶ月ほどアトリエに入りましたが、これが一番大変でした。 銀座テーラーは職人の手によるオーダーメイドで高級紳士服を仕立てており、熟練した職人の技術が売りです。 だから、アトリエで私ができることは、準備の手伝いくらい。 職人たちはやりづらかったと思います。 でも、毎日間近で職人の手仕事を見て、彼らの精巧な技があってこそ、という銀座テーラーの強みを肌で理解していきました。 その後、母付きの秘書兼社長室室長となりました。 営業や人前で話すことは、母の最も得意とするところ。 講演活動も多く、私はひたすら母に同行し、経営手法などを学んでいきました。
◆ドバイとサウジアラビアでの挑戦
――当時の印象的な出来事はありますか? 母は常に新しいことにチャレンジしたがる性格です。 2008~2009年頃、ドバイがブームだったので、新たな市場を求めてドバイ視察を始めました。 ドバイには、ビジネスシーンや公式な場で着用する「カンドゥーラ」という民族衣装があり、スーツはあまり着用しません。 一方、世界を飛び回るエグゼクティブなビジネスマンは、オーダースーツを着るため、市場の可能性はありました。 ただ、実際には地域的に近いヨーロッパで仕立てるため、日本企業の進出は厳しそうでした。 次はサウジアラビアでの販路開拓に話が進んでいきました。 経産省の予算を得て、サウジアラビアの女性と子供に特化した市場調査を行うことになったのです。 服に限らず、日本の中小企業製品について、販路の可能性を調査する視察団のようなものでした。 ――どのような役割を担ったのですか? 外国の方々との交渉や、参加する日本企業のリサーチなどを任されました。 いわゆる事務局的な役割です。 10社程度の経営者をまとめ、現地の行程構築やレポート作成までを担当しました。 その中で知り合った方と、女性や子どものための日本製プロダクトを集めた「ジャパン・フェア」のような展示会を催すことになりました。 その1年くらいは仕事がサウジ一色で、非常に忙しい時期でした。 結果、サウジで分かったことは、日本製品に対する人々の反応は非常に良いけれど、浸透させるためには現地に拠点を置き、腰を据えて取り組まなければ難しい、ということでした。 ドバイも、サウジもテーラーの販路は見つからなかったのですが、母が人脈を上手に構築して、自分のやろうとすることにつなげていく力は大きな学びとなりました。