一田憲子 なぜ怖がりの私が手術を前に「ま、いいか」と開き直れたのか。人生の選択肢を広げるために「怖がり気質」を手放す
◆ホームランを打ち続けたい こんな状況になって、改めて「ああ、もしかして、そういうことね」と感じています。そろそろ私は「それ」を認めなくちゃいけないって。 「それ」とは、悲しみと喜びは、共存するということ。人間は相反する価値観を同時に持ちながら生きていけるということ。つまり、病気であっても幸せになれる。お金がなくても豊かに過ごせる。仕事をしなくても楽しく暮らせる、ということ。 私は猪突猛進型の性格なので、ひとつのことに囚われると、他のことが見えなくなりがちです。 誰かにちょっと悪口を言われただけで、「私のことなんて、誰も好きじゃないんだ」と落ち込んだり、失敗をしたら「もう人生はおしまいだ」と引きずり続けたり。その上、優等生気質なので、理想を掲げたら、ゴールテープを切るまで頑張り続けなくちゃ、と思ってしまう。 つまり、0か100かの両極端で、50点で満足する、ということができません。でも、人生は、いつもホームランを打てるわけじゃない。なのに、私はずっと「ホームランを打ち続けたい人」だったというわけです。 今、病理検査の結果を待ちながら、もやもやとした状態で暮らしていても、朝起きたら、き~んと冷たい冬空はきれいだし、毎日お腹はすくし、夫としょうもない冗談を言い合いながら大笑いしたりします。だから、きっとできるのだと思います。右手に悲しさや苦しみや悩みを持ちながら、左手に喜びや笑いや幸せを持ち、20点でも50点でも、そこそこ楽しく過ごすってことが……。
◆良いことと悪いことの落差が怖かった 今までの私は、何かがうまくいかなかったら、世界中が悪いことで満ちている、みたいな絶望的な気分に陥ってしまっていたのでした。それは、たぶん、その方がラクだったから。悪いことだらけの中、ほんの少しいいことがあれば、ほっと安心して「あ~、やっぱ、よかったじゃん!」と喜ぶことができます。 反対に、良いことに手を伸ばして「ああ、楽しい~!」と浮かれている最中に、「やっぱりダメだった」とわかると、よりがっかりします。私は、その落差の体験が怖かったのだと思います。 物心ついた頃から、極度の怖がりでした。それは、きっと優等生として育てられたから。ちゃんとしていなくちゃいけない。いい成績をとらないといけない。人から褒められなくちゃいけない。失敗しちゃいけない。幼い頃から刷り込まれた思いが強すぎて、そこからずれたり、落ちたりすることが怖い。 この「怖がり気質」が、人生のあらゆるところで顔を出します。いつもいい仕事をしていたいから、ちょっとアマゾンのレビューで悪いことを書かれると、どよ~んと落ち込んでしまう。 どんなに稼いでも安心できないし、老後が心配になってしまう。みんなに好かれるなんて無理なのに、どうやら、あの人にあんまりよく思われていない、と耳にすると、気になって気になって仕方がなくて、しまいには逆に腹を立て「あの人なんて」とプリプリしてしまう、などなど……。 なんて「びびりんぼう」なんだろうと、自分でも情けなくなってきます。この怖がり気質が、いろんなことにストッパーをかけ、見たいものからあえて目を背け、聞こえてくるものに耳を塞ぎ、欲しいものに手を伸ばすことを躊躇させてきたのかも。 もっとおおらかに、みんなに好かれなくてもいいさ。稼げなくてもなんとかなるさ。ずっと上り調子でなくたっていいさ。と考えられれば、「こうもできるけど、ああでもいいよね」と、仕事の選び方、人との付き合い、これからの人生設計と、あらゆる場面で人生の選択肢がぐんと増えるんじゃないかなあ。 そうしたら、もっと気楽にもっと軽やかに、歩いていけるんじゃないかなあ。
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