「元号とは」歴博の小倉准教授が解説(全文)これまで元号に使用された漢字は72文字
改元が行われる理由
改元は現在では皇位継承のときのみ行われることになっていますが、明治以前の前近代ではそれ以外の理由で改元されることもありました。 皇位継承のときに行われる改元は代始改元といいますが、それ以外に祥瑞といって、珍しい、めでたいしるし、例えば白い亀であるとか、五色の美しい雲であるとかが発見されたときに改元する祥瑞改元。逆に地震や洪水、日照り、火災などの災害や、彗星など不吉なしるしが現れたときに改元する災異改元などです。 また、広い意味では災異改元に含まれますが、年を十干十二支で表したときの辛酉、甲子に当たる年には、中国で王朝の交代が起こる可能性があると考えられていたことがあり、それを避けるために改元するという習慣も生まれました。そのため、数年ごとに改元されることがしばしばでした。 中国では1368年の明建国より、1つの皇帝が1つの元号を用いる、一世一元の制が採用されました。これを受けて日本でも一世一元にすべきであると主張する学者が現れ、1868年の明治改元時から、一世一元の制が採用されることになり、それ以降は皇位継承時に限り改元が行われることになりました。 皇位継承と改元の関係については、前近代では皇位に就いた翌年に改元することが多く、場合によってはさらに遅れることもしばしばでしたが、近代に入ると、1909年に制定された登極令において、天皇践祚の後は直ちに元号を改む、と規定されました。登極令は第2次大戦後に廃止され、その後、1979年に制定された元号法では、元号は皇位の継承があった場合に限りあらためるとされ、皇位継承後いつ改元するかは示されておりません。 具体例を見ると、1912年大正改元時は、7月30日の明治天皇崩御公表の同日に改元がなされ、1926年昭和改元時も同日に改元されました。ところが1989年平成改元時は、発表は即位同日であったものの、その翌日に改元されることになりました。これは即位同日とすると、午前0時から発表時までの扱いが法的に難しくなるためです。さらに今回は退位による皇位継承であるため、事前に準備することが可能となったこともあり、即位1カ月前に公表し、即位当日に改元することとなりました。 実際問題としてコンピューターを新元号に対応させるためにも、ある程度の期間を置く必要があります。これは退位だから可能になったことであり、政府が原則とする崩御による皇位継承の場合の改元をどうするかについては、今回は検討されませんでした。 改元の方法は前近代では中国の漢籍に詳しい学者複数名に文字の候補案を複数提出させ、それを上級貴族数名が改元定めと呼ばれる会議を開いて検討し、天皇に選んだ案を奏上し、最終的に天皇が決定するというやり方が採られていました。江戸時代には事前に江戸の幕府に5から8程度の候補案を送って了承を得ることが行われていました。