インド「ヒンドゥー教の国を脱却」した“民衆の力” 人民党はなぜ議席数を減らすことになったのか
与党側は最終的に法律を撤回し、農民は最低価格保証の制度化を求める運動を再開した。農民による激しい抗議が続いたパンジャブ州でインド人民党は全議席を失っている。 ■連立政権運営という試練 「民主主義のDNAが機能し、インドがヒンドゥー教の国にはならなかった」という結果は、同時に民主主義の弱さと共存しなければならないということも意味する。 10年ぶりに中心政党が過半数に達しない事態となったため、常にインド人民党を圧勝に導いてきたモディ首相は、連立政権運営というはじめての試練に臨むことになった。
与党連合の中で大きな議席を占めるテルグ・デサム党とジャナタ・ダル(統一派)が同時に離反すると、過半数を維持できなくなり崩壊する。また再びの寄り合い所帯ということになった。 インドでは、連立を組む党に抜けられ政権を維持できなくなるということは過去にもあった。 核実験強行で勢いをつけたインド人民党は、かつてタミルナドゥの地域政党の離脱で政権を維持できなくなった苦い経験がある。野党側は首相ポストをちらつかせて、インド人民党の友党の切り崩しや取り込みを図ることもできなくはない。
それゆえにインド人民党と友党との絆の深さが政権安定の鍵となる。インド人民党内部の派閥争いや離反、少数政党、独立候補との結束も以前にも増して十分に警戒しなければならない要素となった。 党外勢力との連携協力が必要になったとはいえ、ヒンドゥー教重視の姿勢は続くだろう。ヒンドゥー至上主義を後退させるとインド人民党の母体である民族義勇団が黙ってはいないからだ。このためインド人民党内の基盤固めが最優先される。
インド人民党は公約として、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒とで別々に存在する民法について、統一民法典の制定を掲げてきた。政権が不安定になると、宗教感情をあおって大規模な宗教暴力が起きたり、「強いインド」に訴えてパキスタンなど周辺国との緊張が高まったりする懸念もある。 一方でモディは、インドがヒンドゥー至上主義国家と見られることの怖さを知っているはずだ。 モディの関与が疑惑となった2002年のグジャラート州でのイスラム教徒虐殺事件では、モディがアメリカから入国拒否の措置を取られた。中国に対抗する上でもインドは宗教の自由を保障する民主主義陣営であらねばならない。国内政治の混乱は投資環境にも悪影響を与えかねない。