市川團子 20歳で主演を務めるスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』への思い「役と近い年齢の自分だからできる表現を」
歌舞伎界に新風を巻き起こした祖父と、ドラマや映画の世界で長年活躍する父を持つ20歳の歌舞伎役者、市川團子さん。澤瀉屋(おもだかや)を牽引する《期待の新星》として、今、大きな注目を集めている。2024年は澤瀉屋にとって重要な「スーパー歌舞伎」の原点である作品に主演し、話題を呼んでいる。(構成:篠藤ゆり 撮影:岡本隆史) 【写真】團子さんが『スーパー歌舞伎 ヤマトタケル』で演じる小碓命(おうすのみこと)のちにヤマトタケル * * * * * * * ◆初主演を踏んだ舞台で主役を演じることに 2024年1月、20歳になりました。20代を迎えて初めての舞台は、スーパー歌舞伎の『ヤマトタケル』。昨年9月に他界した祖父(二世市川猿翁)が、「スーパー歌舞伎」の第1作として1986年に発表した作品です。 ビデオテープに残された祖父の『ヤマトタケル』を初めて見たのは、僕が小学校低学年の頃。カッコいいと思ってワクワクしましたし、最後の宙乗りのシーンが忘れられなくて。以来、永遠の憧れというか、夢のようなイメージを抱いてきました。 ですからヤマトタケル役のお話をいただいた時は、一瞬、信じられなかったというか――。「えぇっ? あのお役を僕が!?」という感じでした。 8歳の時に初舞台で出演させていただいたお役が、ヤマトタケルの息子・ワカタケル役だったのですが、その時はまさか自分がヤマトタケル役を演じさせていただけるとは、思ってもいませんでした。
初めて歌舞伎の舞台を見たのは、小学校に入る前です。見得をしたり立廻りをしたりするのを見て、子ども心に「カッコいいなぁ」と興奮したのをよく覚えています。鼓や太鼓が体に響いてくるし、三味線や長唄なども、自然に耳に馴染みました。 日本の音楽を好きだと感じたのは、感覚的なものだと思います。ですから小学校1年の時、家族から「日本舞踊を習ってみないか」と言われた時も、まったく抵抗はなかったです。むしろ、自ら進んでやってみたいと思いました。 始めてみたら楽しいし、ちょっとした所作も、純粋にカッコいいと思えて。好きだなと思ったのを覚えています。ただし、まさか自分が歌舞伎の舞台に立つとは、その時は想像もしていませんでした。 それまで、世の中には歌舞伎というものがあって、「じぃじはその歌舞伎の俳優さんなんだ」と思っていただけでした。思いがけず自分がその舞台に立たせていただけることになり、純粋に「嬉しい!」という喜びでいっぱいでした。 初舞台でワカタケルを演じた際、祖父から「声を遠くに飛ばせ」と教えてもらったのですが、12年たった今回のお舞台で、その教えの重要さをさらに感じました。 たとえば悲しい場面で悲しい感情に浸りすぎると、客席の奥まで声を届かせることがおろそかになりがちですが、でもそうではなく、声を遠くに飛ばしてきっちり台詞を届けてこそ、感情の機微が伝わるのだと、腑に落ちました。