<開花の時・’24センバツ>チームの軌跡 別海/下 エース変えた夏の試練 緩急、メリハリの投球で急成長 /北海道
就任時に「10年以内の甲子園出場」を掲げた島影隆啓監督(41)だったが、8年目にして勝負の時が訪れた。 【写真で見る歓喜の瞬間】歴代のセンバツ覇者たち 「この代でとるぞ」。昨夏に新チームがスタートした時、島影監督は選手たちにこう声をかけた。「この代なら甲子園を目指せる」との思いがあったからだ。 エース右腕の堺暖貴(2年)、二塁の千田涼太(2年)、遊撃の影山航大(2年)、中堅の寺沢佑翔(2年)のセンターラインを中心に、守備は歴代の中でも安定していた。「このチームは大崩れはしない。後は点数をとれれば勝ち上がっていける」。特に大きかったのが、堺の存在だ。 堺は別海中央中時代に全国の舞台を経験しているが、高校に入るまでは野手だった。入学後、トレーナーの進言もあって投手に転向。変則フォームから繰り出すクセのある球で頭角を現した。ただ、昨夏までは「いまいちだった」(島影監督)。今や絶対的エースとなった右腕には、心身の成長を促す二つの出来事があった。 最初のきっかけは、2023年7月の北北海道大会釧根地区の代表決定戦だった。別海は長年のライバルである釧路工と対戦し、3―6で敗戦。3年生エースを救援した堺は2失点し、2回と持たずに交代した。 堺は「3年生を勝たせてあげられなかったことが、自分の中で悔しくて。OBの皆さんのためにも頑張ろうと、意識が変わった」と振り返る。 さらに成長を加速させたのが、新チーム発足後の遠征だった。7月末の紋別合宿では、連日30度を超える猛暑が続き、冷房のない宿舎では夜も暑さで眠れないほど。宿舎から練習場までは走って往復し、体を追い込んだ。島影監督は「僕らスタッフも二度とやりたくないと思うような合宿だった」と苦笑する。 紋別合宿を終え、すぐさま札幌市へ遠征に。疲れが残る堺に、島影監督は練習試合で連投させた。「完投しろ」。チームを背負う大黒柱として、一本立ちを促す思いだった。 暑く、体も限界まで疲れている中でどうすれば投げ続けられるのか。それまで常に全力で投げていた堺だったが、この時に緩急、メリハリを付けた投球を身につけた。 島影監督は、「あそこで堺が一気に変わった。大人の投球ができるようになった」と成長を見てとった。堺自身も「力の入れどころとか、自分の中でつかめていったものがあった」と手応えを感じていた。 迎えた秋季道大会の釧根地区大会。釧路江南との代表決定戦で、堺は要所でギアを上げながら1失点完投。道大会初戦でも完投すると、準々決勝の知内戦は延長10回を一人で投げ抜き、4強入りに貢献した。 影山は「(遊撃手として)堺の後ろで守りながら、変わったなと思った。打たれてもピンチになっても、冷静だった」と、ポーカーフェースのエースの背中を頼もしく見ていた。 投手転向直後は110キロほどだった球速は、130キロ台まで伸びた。制球や投球術を磨くとともに、この冬は球速アップにも取り組んできた。「全国で自分のピッチングがどこまで通用するのか試したいし、甲子園でも自分のペースを崩さず投げたい」と堺。甲子園史上最東端の学校から、胸を張って全国の舞台へ乗り込む。【円谷美晶】