『まんぷく』福子のモデル・安藤仁子「チキンラーメン」が爆発的に売れる中、家では厳しく子育てを…「怒った時の母は鬼!」その内容とは
◆負けず嫌いは父親ゆずり 仁子は自分が幼少時に苦労したこともあって、子どもたちの自立を願いました。特に男の子の宏基を厳しく育てました。 宏基は小学校時代に、悔しい思いをしました。 「おまえの親父はラーメン屋か」とからかわれたのです。 「ラーメン屋のなにが悪い」と答えてケンカになりました。 家に帰って、百福から「日本一のラーメン屋になるんだよ」と言われてやっと安心しました。負けず嫌いは父親ゆずりだったのです。 宏基はいたずらが過ぎて、しょっちゅう仁子を困らせました。 ある時、自分より年下の五、六歳の子を集めて、近くの五月山にイノシシ捕りに行きました。ナイフで竹を削り、弓矢を作りました。それを肩に担ぎ、隊長気どりで山に入りました。すると、がさがさと音がして、イノシシが本当に出てきたのです。山を転げ落ちて逃げました。「全員、おしっこを漏らした」(宏基)というほど、怖かったのです。仁子から「五月山のイノシシ捕りには二度と行くな」ときつく怒られました。
◆「怒った時の母は鬼だった」 イノシシ捕りはやめましたが、いたずらは止まりません。 明美が天然パーマだったのをからかい、髪の毛にチューインガムをつけて取れなくしました。友達と相撲を取って骨折させました。花火をしていて向かいの家に火の粉が飛び、ボヤになりました。キリン草の茎をヤリにして投げ、友達の耳に刺さりました。 池田市内を流れている猪名川は時々台風で氾濫しましたが、そんな時は、川岸の水たまりにいる魚を捕ってきて庭の池に放し、釣りをして遊びました。百福が金魚を買ってきて、同じ池に放しましたが、この時は、明美と一緒にこの金魚を釣って、わざわざ三枚におろして犬に食べさせてしまいました。 仁子は迷惑をかけたご近所には、そのつど謝って回りました。宏基には厳しいお仕置きが待っていました。普通のいたずらの場合は、両耳を引っ張られました。何度も引っ張られたのでしょう、「だから、私の耳は左右に出ている」と宏基は今でも冗談で言うほどです。 「ごめんなさい」と素直に謝らない時は、柱に縛りつけられました。真っ暗な納戸に閉じ込められました。暗がりで、黒い缶に入ったキツネとタヌキの襟巻を見せられ、目だけが光っていて、夢に見るほど怖かったのです。 「勉強しなさい」と言われると、「今勉強しようと思っていたのに、やる気がなくなった」と口答えをして、また怒られました。とうとう、「あの子はほうっておきましょう」ということになりました。すると、「急にやる気が出てきた」(宏基)というのです。相当な反抗的少年でした。 宏基にとって、「怒った時の母は鬼だった」というほど、怖い存在だったのです。 ※本稿は、『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(安藤百福発明記念館編、中央公論新社刊)の一部を再編集したものです。
筒井之隆
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