『まんぷく』福子のモデル・安藤仁子「チキンラーメン」が爆発的に売れる中、家では厳しく子育てを…「怒った時の母は鬼!」その内容とは
◆大きな決断 一時、インスタントラーメンを作る会社が日本全国で三百六十社にも達しました。競争が激しくなっただけでなく、品質の悪い不良品が出回りました。特許に異議申し立てをする会社も出てきて、業界の混乱は続きました。 こうした状況を見かねた食糧庁の長官から、「すみやかに業界の協調体制を確立するように」との勧告がありました。百福はその取りまとめに努力して、「日本ラーメン工業協会」(現在の日本即席食品工業協会)の設立にこぎつけ、初代会長に就任したのです。 その時、百福は大きな決断をしました。 「私が特許を独占すれば、日清食品は大きくなるかもしれない。しかし、しょせん野中の一本杉に過ぎない。業界全体で力を合わせて、大きな森として発展する方がよいのではないか」 製法特許の技術を公開したのです。希望する会社にはその使用を許可しました。使用許諾を受けた会社は六十一社に及びました。品質は安定し、消費者の信頼も高まりました。インスタントラーメンは戦後に生まれた新しい加工食品として、どんどん市場を広げていきました。百福の英断はインスタントラーメンが大きな産業として発展する礎となったのです。
◆落ち着いた生活 ふたたび、落ち着いた生活が戻ってきました。 夏になると、家族はよく車で和歌山の白浜海岸に海水浴に行きました。明美(長女)はいつも車に酔ってうつむき加減、宏基は百福と魚釣りに夢中でした。仁子は沖に出て、泳げない百福にいつものように「はい、ここまで」と声をかけていました。 仁子は子どもの教育に熱心で、宏基と明美をともに厳しいキリスト教の幼稚園に通わせ、進学校だった大阪学芸大学附属池田小学校(当時)に入れるために木下塾にも通わせました。 日曜日の朝になると二人は、百福に連れられて愛犬のシェパードと一緒に、よく近くの五月山に散歩に行きました。二人の楽しみは散歩の後、池田駅前栄町商店街にあるいしだあゆみ(俳優、本名石田良子)の実家のお店に寄って、クリームソーダを飲むことでした。 店は喫茶の他に洋装小物も売っていました。宏基はいしだと池田小学校の同級生で、何度か一緒にアイススケートに行った時のことを覚えています。いしだはいつもリンクの真ん中で、スイスイと踊りながら滑っていたそうです。 「私はへたくそだったので、いろいろ手をとって教えてもらった」と宏基は回想します。 いしだあゆみの姉の石田治子はフィギュアスケートの元オリンピック選手で、姉妹ともにスケートが上手だったのです。 ちなみに、2003年9月から半年間放送されたNHKの連続テレビ小説「てるてる家族」は、石田家の両親と四姉妹をモデルにした作品で、原作は四女の石田ゆりと結婚したなかにし礼の『てるてる坊主の照子さん』でした。 ドラマの中で、上野樹里が演じた三女の秋子が、中村梅雀演じる安藤百福をモデルにした安西千吉のチキンラーメン開発を手伝う場面がありましたが、これは両家が同じ大阪府池田市で近所だったことからドラマに挿入されたフィクションだったのです。
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