豪雪地帯の山奥に「奇跡の集落」なぜ誕生? 若い移住者あつまる背景、ドイツ人建築家の古民家再生と集落の人々の”よそ者”への温かなまなざし
そして住民と話す中で、カールさんは竹所がいかに素晴らしいかということを真っ直ぐに語るのです。 例えば、豪雪地帯の住民としては、雪なんて本来大嫌いなものか、あって当たり前のものでした。しかしカールさんは一緒に除雪している最中に、ふと振り返って山々を指し、「見てください、この景色。とてもキレイでしょ?」と語りかけます。 そうなると不思議なもので、次第に住民も、毎日変化する雪の景色を見ることが楽しみになってきました。
住民の意識が変わったことも、「奇跡の集落」への原動力
このように、いつしか住民も自分たちの故郷に少しずつ自信を持つようになりました。すると自然に、壊れて放置されていたトラクターや古タイヤを撤去したり、古い小屋のトタンやブルーシートを片付けたりして、集落内の景色をもっと良くしたいと思うようになりました。 集落の入り口にある、老朽化した牛舎をキレイにしようと発案したのはカールさんですが、その改修は集落の住民総出で行いました。休みの日を利用して、壊れた外壁を取り替え、塗装をし、子どもたちもニスを塗るなどしてお手伝い。約4カ月かけて、オレンジの壁と赤い屋根の牛舎(とは思えない建物)が完成しました。 その後、カールさんが竹所集落のいち住民として頼りにされたのは言うまでもありません。区長(自治会長)を務めたこともあります。 既に述べたように、カールさんが初めて竹所を訪れたのが平成5年(1993年)。竹所集落の最寄駅(まつだい駅)のある北越急行ほくほく線が開通したのが平成9年(1997年)、竹所のある十日町市とお隣の津南町の里山を舞台とする地域芸術祭「大地の芸術祭」が、初めて開催されたのが平成12年(2000年)。 竹所を含む旧松代町は雪深い地域のため、道路が積雪で不通になるなど昔から冬の交通が問題だった。そのため鉄道の敷設をかねてから熱望していたが、平成9年(1997年)にようやく開通。写真はまつだい駅周辺(撮影/中田洋介)/MVRDV「まつだい『農舞台』」(大地の芸術祭作品)(写真奥) ほくほく線の開通や大地の芸術祭の開催など、外へ開こうとする地域の気持ちがどことなく見えてくるようです。それが1990年~2000年に集中しているのは、出来すぎた偶然なのでしょうか。 初めて竹所に訪れて以来、カールさんが手を伸ばして周囲を“巻き込んだ”のは確かですが、その手を払うことなく、つかんで一緒に動き出した住民たちにも、きっとどこかに外へ開く気持ちがあったのだと思います。
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